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エルサレムの大虐殺 スティーブ・ワイデンコップ - 2015/7/31

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エルサレムの大虐殺
スティーブ・ワイデンコップ - 2015/7/31
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この記事は、十字軍に関する現代で最も一般的な神話と、それに対する反論の方法についてのシリーズの4つ目です。


今月は、第一次十字軍による聖地エルサレムの解放(1099年7月15日)から916年目の記念日である。第一回十字軍の成功の知らせは、キリスト教国の住民に熱狂的に歓迎された。しかし、十字軍を発足させ、その中心をエルサレムに置いた教皇ウルバン2世は、このニュースがローマに届く前に亡くなってしまった。


この出来事は、キリスト教圏で何世代にもわたって記憶され、現代世界でも回想されるようになったが、勝利の喜びは薄かった。現代はエルサレム解放をエルサレムの大虐殺と記憶し、イスラム世界の反欧米感情を助長する一触即発の出来事として記憶している。十字軍がキリスト教にとって恥ずべきものである理由として、エルサレム進攻後の第一次十字軍の行動が挙げられるが、私たちは歴史の中で忘れるか、言及されることを恥じて身を縮めるのがよいのだろう。


暗黒からの光』スティーブ・ワイデンコップ著|Catholic Answers Press
このような考え方は、時にカトリック信者にも受け入れられ、十字軍を利用して教会と公共の場におけるその影響力を攻撃した啓蒙主義者の反カトリック的なレトリックに根ざしている。このレトリックは今日、十字軍に対する大衆の認識を形成するメディアの中で強化されている。カトリック信者にとって、教会が攻撃されたときにそれを守るために、私たちの歴史の本当のストーリーを知ることは不可欠なことなのです。では、エルサレムの大虐殺の本当のところはどうなのでしょうか。


第一次十字軍の先頭部隊がエルサレムへの内陸の道に到達したのは1099年6月初旬のことである。それは疲弊しきった、奇跡のような旅路であった。飢饉、脱走、病気、そして戦場によって、軍隊の80%の人員が消耗していた。この遠征に参加した兵士たちは、古代キリスト教の都市ニカイア(325年と787年の二つのエキュメニカル会議の開催地)を解放し、アナトリア死の行進で苦しみ、アンティオキアでの大きな包囲と戦いで戦ってきた。彼らは疲れ果て、物資も不足していたが、武装巡礼のゴールはついに手の届くところにあり、意気揚々としていた。


6月7日、彼らは聖都の城壁に到着し、容易でないことを承知で包囲の準備をした。6月13日、包囲のための装備は整っていなかったが、総攻撃が開始された。十字軍は外側の城壁を一部破ったが、内側の城壁を越えることはできず、大きな損失を出して退却を余儀なくされた。7月初旬、ある司祭がアンティオキア包囲後に亡くなった教皇公使アドヘマル司教の幻影を見たと言ったことから、十字軍は3日間断食を行い、裸足で丸腰で懺悔の行進をし、祈りを歌い、聖遺物を携えた。これらの精神修養に励まされた十字軍は、使徒散華の祝日である7月15日(金)にエルサレムを最終攻撃し、磔刑の時間である午後3時に聖都に入城した。エルサレムは再びキリスト教徒の手に渡ったのである。


中世の戦争では、キリスト教圏でもイスラム圏でもそうであったが、降伏を拒んだ都市は、軍隊が押し入った時点で攻撃軍の言いなりになってしまうので、多くの都市指導者は包囲の危険を冒すよりも攻撃側と折り合いをつけた。このため、多くの都市は包囲されるよりも降伏した方が良いと考えたのである。


十字軍はエルサレム市内に入ると大暴れし、多くのイスラム軍と非戦闘員を殺害した。多くの人が殺されたことは間違いないが、誇張して考えてはいけない。ユダヤ人を含む多くの住民は殺されずに捕らえられ、身代金を要求され、また都市から追放された人々もいた。この殺害は、イスラム教とキリスト教の両方の記録者が記録しているので、よく知られているが、それぞれの記述には食い違いがある。例えば、ある者は虐殺は数日間続いたと言い、ある者は初日にのみ起こったと言う。キリスト教の資料では、殺された人の数が数百人から1万人までと幅があり、意見が一致していない。イスラム教の資料には、75,000人(都市全体の人口は20,000人から30,000人)以上の犠牲者が出たとする、大きく膨らませた数字もある。十字軍が殺害したのは数百人から3千人程度であろう。


興味深いのは、キリスト教の資料で流血の描写に似た言葉が使われていることだ。足首まで、ふくらはぎまで、あるいは馬の膝まで流血したという。これらの記述は、現代の評論家が恐ろしい虐殺の明確な証拠として引用しているため、この出来事の現代的な解釈に貢献している。ところがである。















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