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チ 地球の運動について 6.科学を歪め 7.ガリレオ ブルーノ

「チ。―地球の運動について―」感想。〜歪で不誠実で不愉快なこの傑作漫画について〜
6.歪められた「科学」の姿
7.弾圧はあったのか? – ガリレオ・ガリレイ






結局の所、ケプラーは最後まで神秘主義者だったのである。
 
 
 

6.歪められた「科学」の姿
 
ここまで実際の史実における地動説の成立過程について概説*18してみた訳だが、史実と比較してみると、『チ。』作中でこの過程が約200年先行して起こっているとするのがかなり無理のある設定である事がよく分かるだろう。
 
コペルニクスレベルの地動説は元々観測データにはよっていない。なのでポトツキがそのレベルの地動説を提唱しだしたのまではまだ良いとしよう。
(とは言えそれについても、アラビア圏のプトレマイオス説批判の輸入や、そもそものプトレマイオスの著作の完全な復活も無しに、当時のヨーロッパでコペルニクス説を先取りできていたとするのはそこそこ無理がある。)
が、それ以降についてはほとんど不可能に近い。
 
5章でも述べた通り、ピャスト伯とその師が、150年分の観測装置の技術進歩も、国家予算クラスの資金援助も無しに、ティコと同等レベルの観測データを残せるはずが無い。
ピャスト伯が若かりし頃は秘匿的な研究だったらしきことが仄めかされているし、それ以降も国家レベルでの経済支援を受けている様子は無い。また、『チ。』の舞台となった地域では宇宙論の異端研究が特別厳しく弾圧されているという設定であるため、プトレマイオス説の修正を目的としたピャスト伯の研究に公的な援助があったとは考えづらい。
そもそも「継続的な観測データを蓄積する」というティコの試み自体が、コペルニクスの地動説に匹敵しうる天文学の歴史における重要な思想転換であり、そこに至るにもそれ相応のバックグラウンドがあるのだ。
 
史実においてケプラーは真円軌道から脱した後も、楕円軌道がおおよその正解であると見出すまでに数年の時間をかけている。その後、惑星の全軌道が楕円で記述できると断言するまでにさらに10年以上の歳月をかけているのだ。
バデーニがしたように、「そうか!楕円だ!」と閃きで辿り着けるようなものでも、閃きさえあらば数ヶ月で完成しうるものでも本来は無い。
(ただまあこれに関してはそもそも、漫画という表現形態と「起伏のない地道な観測データの積み重ね」が物を言う科学という題材自体に食い合わせの悪さがあるので、仕方ない部分もある。だからこそそうした「観測データの積み重ね」というドラマにしづらい領域はピャスト伯の過去の仕事として処理し、「閃き」というドラマにしやすい部分だけがバデーニの仕事として描写された訳だ)
そもそもティコによる天球の存在否定という重要な先行研究無しに、一体どのようにしてバデーニは「真円の呪縛」から脱し得たと言うのか。












ライズするのはフィクションの定石では無いのか?
そう言われれば返す言葉も無い。
私の批判は、極論を言えば『テニスの王子様』に向かって「こんなのテニスじゃねえよ」と文句をつけているようなものではある。
 
が、しかしだ。
『チ。』における「科学」とは、『テニスの王子様』における「テニス」と同じようなものであって良いのか? 「科学」を物語の都合で適当に歪めておいて『チ。』という漫画のテーマは本当に成立するのか?
『チ。』作中では、知的探究という行いの意義が、時に人生論として、時に文明論として様々な角度から問われる。また、科学とそれ以外を分けるものは何か? 研究において自説を信じるのは信仰と何が違うのか? そうした科学哲学の領域に関する問答がシリアスに行われる。
それらの問答は、時として唐突に始まっては延々とページを消費することもあり、エンターテイメントと言うよりはメッセージが優先されているように見える節もある。
この漫画はこの漫画なりに、「科学とは何か?」というテーマを真剣に描こうとしているのではないのか?
で、あるとするなら、そこで描かれた「科学」の姿が、ストーリーの都合で歪に理想化されたものでしかないという点は、作品自体に致命的な瑕疵になりうるのではないか?
 
少なくとも私という一読者にとっては、本記事の批判が正当か不当かに関わらず、この漫画が極めて不誠実かつ不愉快なものだったのは間違いないのである。
 
 
さて、自分でも思いのほか筆が乗ってしまい、記事としてフィナーレを迎えんばかりの筆致となってしまった感はあるが、私の思う『チ。』の不誠実さは最初に述べた通り大きく分けて2点あり、ここまでで語った内容はあくまで1点目についてである。
という訳で次章からはもう1点の『チ。』への不満について語っていきたい。





7.弾圧はあったのか? – ガリレオ・ガリレイ


追記
記事公開後「ジョルダーノ・ブルーノは?」というコメントをいくつかもらった。地動説を支持していたブルーノが異端審問によって火炙りに処せられたのは確かに事実だが、ブルーノの場合は「地動説を支持していた"から"処刑された」のではなく「処刑された異端者が地動説"も"支持していた」というのが正しい。
キリスト教の教えにかなり全方位で噛みつきまくってた狂犬の数ある噛み付き先の中に、宇宙論もあったというだけの話で、教会側からしても宇宙論の比重がどこまで大きかったかは疑問。ちなみにブルーノの処刑理由となった24の罪状、以前にどこかで確認したが私の記憶が確かなら、少なくとも直接的に地動説についての罪状は含まれていなかったはず。



8. 天動説 対 地動説
 
本記事ではここまでの記述で「詳細は後の章で後述する」として説明を後回しにしてきた箇所がいくつかある。特にコペルニクス説の自然学的側面での問題点などについては詳しい説明を避けてきた。
本章では、ここまでで省略してきたそれらの部分について詳しく述べ、天動説と地動説それぞれの理論としての優位性について比較してみたいと思う。



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