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信仰と業についてカトリックが信じていること

信仰と業についてカトリックが信じていること
プロテスタントとカソリックの義認に関する議論を、単に "信仰のみ "か "信仰と行い "かという観点から組み立てるのは問題である。
ジミー・アキン - 2015/7/1
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"プロテスタントは信仰のみを信じ、カトリックは信仰と行いを信じる" プロテスタントもカトリックも、いつもこう言っているのを耳にする。


しかし、これは誤解を招きやすい単純化しすぎだ。もしあなたが典型的な福音主義者に「あなたがたは信仰だけを信じているが、私たちカトリック信者は信仰と行いを信じている」と言えば、その人はカトリック教会が教えていることが、実際には間違っていると思うだろう。


その理由がここにある。




義認との関連
信仰と行いの議論は、空白の中で行われるのではない。義認の教義という特定の文脈の中で行われるのだ。


新約聖書では、義認という言葉は、神の恵みによって神が私たちのためにしてくださることのひとつを指す言葉として使われている。残念なことに、義認が何を意味するかについてはかなりの意見の相違がある。


典型的なアメリカの福音主義者がこの言葉を使うとき、神が誰かを義と認めるとき、神はその人の罪を赦し、義と宣言する。これはクリスチャン生活の初め、人が初めて神に立ち返るときに起こる。


その限りにおいて、この説明は正確である。カトリック神学は、義認にはそれ以上のものがあると言うだろうが、クリスチャン生活の初めに、神がその人の罪を赦し、その人を義と宣言されることは事実である。









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