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秀吉 島津の奴隷売買に対してです。 加藤清正が島津の奴隷売買を調査

2023/9/23 15:49

比叡山延暦寺が5割にも及ぶ高利貸しをして払えないと九州の奴隷商人に売り飛ばしてその資金力を背景に大名並みの力をつけて迂闊に手を出せないぐらいに強大となった話は聞いたことあります。

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mek********

2023/9/19 12:50(編集あり)

他の方が書いてるとおり大友宗麟が海外に奴隷売買をしていたとする資料はありません。 秀吉が九州征伐で奴隷売買で怒ったという逸話は大友ではなく島津の奴隷売買に対してです。 加藤清正が島津の奴隷売買を調査していて秀吉に報告していて、その事に関連した書状が残っています。 大友宗麟が奴隷貿易をやっているという誤解が広がったのは明治のある歴史学者が著書にキリシタン大名が奴隷貿易をやっていたという断定的な事を書いたため、宗麟の名前があったわけではないもののキリシタン大名という事で宗麟の所業として広く流布してしまったんです。

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ail********
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2023/9/19 5:56

戦争捕虜を奴隷にして、輸出もした。 火薬原料の硝石とのバーター貿易。 相手が宣教師とキリスト教徒。 相場表が多く残っている。 信玄は自領の農民売って硝石手に入れてる。 硝石なければ火縄ジュウもタダの鉄棒。 硝石国産は江戸時代から。 秀吉は伴天連追放令の前年に奴隷貿易禁止令出してる、他の大名が硝石得るの防ぐ為、守られなかった。

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loo********

2023/9/18 20:40

Q「戦国時代のキリシタン大名は、戦の後、他国の領民を、奴隷として南蛮人に売り飛ばしていたりもしたのですか。」 他国の領民かは解らないのですがキリシタン大名では「有馬晴信」は宣教師からの提言で、領内の日本人男女を南蛮人に売ったとする史料があります。 ただキリスト大名だけではなく「織田信長、武田信玄、島津義久」などキリシタン大名では無い大名が他国だったり自国の「奴隷」を「奴隷商人」に売ったとする史料は存在し、この中で南蛮に売られて行った者も居たかもしれません。また「上杉謙信」も関東において戦争時に奴隷商人による「奴隷市」を場所や期間を許可するお触れを出しています。 それこそ大友家の領土に攻め込んだ島津家による「人狩り」の史料が存在します。 なので戦国大名の中にはキリスト大名に関係なく自国・他国の人間を奴隷化後に奴隷商人にそれらを売っている史料は存在します。 説明としましては「戦国時代」には日本では「勾引(人身売買)」の商売は存在し「人売り(奴隷商人)」も存在し、各大名から「納税」や「上納」の代わりに「市」を開く許可をもらって商売をしていたようです。 Q「当時の日本なんて、まさに他の部族を襲うことが日常的な戦国時代です。また、戦の後は人刈りを行われてていたと聞きます。九州征伐で秀吉が奴隷貿易を見つけてブチギレた話は有名ですが。大友宗麟等は、戦の後、負けた領地の民を宣教師に売ったりしていたのですか?」 大友宗麟が奴隷を売っていたと説明する学者とその書籍は存在するのですが、実はその根拠となる「史料」は無い状態です。 むしろ大友家の領土に侵攻した「島津軍」による「人狩り」と「人売り」の史料がある状態で、正に島津家は他国の領民を狩って売ったと言う史料です。 Q「単に貧しくて売られるだけでなく、キリシタン大名が奴隷貿易をしていた記録はないのでしょうか?」 そういった記録や史料は無いです。 上記の「有馬晴信」も宣教師から言われてそれを許可した形です。 「奴隷商売、奴隷商人、奴隷市」があった戦国時代にあって戦国大名はその商売の「許可」をする感じで、率先して行うほどでは無いです。 上杉謙信の「奴隷市の許可」も「何日~何日まで、この場所(特定の場所)での奴隷市を許します」といった物で謙信が「人を売るのだ!」と率先していたわけではないですね。

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ねこだましい

2023/9/18 18:31

「乱妨取り」という単語も当時はありました。奴隷狩りという意味です。外国に関係なく、荘園の「下人」は奴隷、「所従」は半奴隷ですな。 一級史料とされる信長公記に「越前で4万人を捕らえて、殺したり、売ったりした」との奴隷狩りを淡々と書かれています。 奴隷狩りについての古文書では、上杉軍と島津軍のものがよく残っているそうな。 近江の村の古文書には、村VS村のケンカで殺人や奴隷狩りが行われ、奴隷に売られた親族を買い戻すための借金の方法まで確立されていた事が書かれていました。 高校日本史で習う自検断の実態はこのようなものでした。 島津軍は北九州に近いし、当時は日本海側海運で越前の織田軍に囚われた奴隷も運べるし、琵琶湖+日本海で運ばれた奴隷もいたでしょうし。


























kou********さん
2021/5/11 12:29

キリシタン大名とは限らない。 島津が九州を制圧すると、島津による奴隷狩りが大々的に行われ、日本人奴隷の価格が大暴落しています。 薩摩は農作物が育たず、昔から主要産業が奴隷売買でしたから。


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