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結局、木戸孝允が間に入り、大久保は辞さずに終わった。だが、大久保にとっては、大きなターニングポイントだったに違いない。
自分を倒そうとするならば、遠慮はしない――。その後、久光は板垣退助と結託して、政府の方針に抗うが、このとき清との交渉も成し遂げた大久保には、勢いがあった。明治8年、大久保は板垣もろとも久光を政権外へと追い出している。
結局、木戸孝允が間に入り、大久保は辞さずに終わった。だが、大久保にとっては、大きなターニングポイントだったに違いない。
自分を倒そうとするならば、遠慮はしない――。その後、久光は板垣退助と結託して、政府の方針に抗うが、このとき清との交渉も成し遂げた大久保には、勢いがあった。明治8年、大久保は板垣もろとも久光を政権外へと追い出している。