事の重大さに加えて、外相青木周蔵が事件発生後、駐日ロシア当局に、津田は死刑に処せられるはずであるという言質を与えていたからでもある。
ロシア皇太子の来日前,駐日ロシア公使シェービチは同皇太子への不敬の所業を厳罰するよう緊急勅令の公布を外務大臣青木周蔵を通じて日本政府に求めたが,青木は緊急勅令でなく皇族に関する刑法規定の準用を同公使に約言しながら公表していなかった。そこでこの国際的な約束にしばられた政府は,犯人に刑法116条の天皇,三后,皇太子への危害の条文による死刑を司法部に求めたほか,伊藤博文は戒厳令を考え,青木外相は同条を外国皇族にも適用する緊急勅令を提案したが,いずれも実行にいたらなかった。大審院長児島惟謙は,青木・シェービチ協定の存在を政府から知らされたが,刑法116条でなく通常謀殺未遂を適用するよう,大津地方裁判所で開廷した大審院特別法廷の担当判事を説得した。この結果5月27日大審院は津田に無期徒刑の判決を宣告した。児島の行動は司法権の独立を政府の干渉から守ったものとしてたたえられ,この事件後司法権独立は日本の裁判所の伝統として確立されたと評価された。しかし行政上担当裁判官を監督する大審院長の職にあり,担当裁判所の構成員でない児島が,担当裁判官を説得して自己の法解釈に同意させたのは,やはり裁判干渉であった。彼は政府の行動を軟弱として国権論の立場から政府に抵抗した。
ロシア皇帝は日本が約言を守り,津田に死刑を宣告してロシアに対する礼儀をつくせば,ロシアが減刑を申し出ることにより皇太子殺害未遂事件を日露親善の契機に転じようとしていたが,大審院の判決はロシアにその機会を失わせたと駐露公使西徳二郎は批判している。津田は同年9月30日,釧路集治監で肺炎により病死した。