天動説でも、地球は丸いと考えていたし、季節変化や日月食も正しく説明していたし、その予測もなされていた。惑星の運動もそれなりに説明していた。というよりも、昔から天動説でも、惑星の変則的な運動を説明するのが重要な課題になっていて、それが説明できなければそもそも天文理論としての資格を持ち得なかったのである。
理論と観測データの関係については、微妙な問題があるので後で改めて取り上げることにして、ここで述べておきたいのは、「観測データとのズレを解消するために修正を加えていった結果、天動説という理論は複雑になり過ぎ、もっと理論的に単純な地動説に取って代わられた」という考えの背後には、「自然は単純だ」という信念が潜んでいることだ(この主張自体は単純だろうか?)。そして科学と宗教の関係を考えた人は、科学と宗教は、水と油のように、本来相容れないものだ、と考えてはいないだろうか(有名なガリレオの宗教裁判は、コペルニクスが亡くなってから九〇年後のこと。つまり、現代の常識はコペルニクスよりずっと後に成立したのだ)。