6税制を歴史から考察すると
税制というのは、社会に与える影響が大きいもので、国の文化を変えてしまうほどの影響力を持つ場合があるもので、民度・歴史を考慮にいれて、設計をすべきもので有ろうと思います。
「高き屋に登りてみれば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」
仁徳天皇は、民が困窮しているのをみかねて3年間、税を免除したという故事が基にあります。
また17条憲法の12条に、「国のつかさ国のみやっこは百姓におさめとることなかれ」とあります。要はメチャクチャな税金はとるなよ、ということです。
これは国と国民の合意事項であると思うのですが、消費税はどうなのでしょうね。
消費税ができたのは、昭和63年、暮れも押し迫った12月下旬であったと記憶しています。竹下内閣のときでした。プラザ合意の後で、時恰もバブルの始まりの時期でした。
それから35年が経過しました。
失われた30年は、この消費税の導入に始まったというのが私の理解です。
税制というのは、社会に与える影響が大きいもので、国の文化を変えてしまうほどの影響力を持つ場合があるもので、民度・歴史を考慮にいれて、設計をすべきもので有ろうと思います。
「高き屋に登りてみれば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」
仁徳天皇は、民が困窮しているのをみかねて3年間、税を免除したという故事が基にあります。
また17条憲法の12条に、「国のつかさ国のみやっこは百姓におさめとることなかれ」とあります。要はメチャクチャな税金はとるなよ、ということです。
これは国と国民の合意事項であると思うのですが、消費税はどうなのでしょうね。
消費税ができたのは、昭和63年、暮れも押し迫った12月下旬であったと記憶しています。竹下内閣のときでした。プラザ合意の後で、時恰もバブルの始まりの時期でした。
それから35年が経過しました。
失われた30年は、この消費税の導入に始まったというのが私の理解です。
消費税ダメ論(令和5年4月)
令和5年4月8日
税理士 倉矢 勇
税理士 倉矢 勇
私の手許に消費税はダメという本が4冊あります。
消費税増税亡国論 植草一秀 2012年4月23日 発刊
10%消費税が日本経済を破壊する 藤井聡 2018年11月10日 発刊
増税亡者を名指しで糺す 田中秀臣 2018年12月13 発刊
消費税が国を滅ぼす 富岡幸雄 2019年9月20日 発刊
『アルカバラ税(スペイン)は、設定当初、譲渡価格の5%であったが、後、1377年に10%に引き上げられている。アルカバラ税は、農夫から貴族まで、すべての人に適用された。(中川和彦著 「中世のカスティージョリャの税制の素描から」の抜粋)』
『スペインはアルカバラ税の課税対象を拡大していきました。1590年には食糧品などの生活必需品にも課せられるようになりました。消費税は、現在でも国の景気を後退させる作用があります。現在、各国で課せられている消費税のほとんどは、その商品を最終的に消費する人だけが、1回だけ払えばいいという仕組みになっているのです。
しかし当時のスペインの消費税アルカバラ税は、その商品に1回だけ課税されるのではなく、その商品が取引されるたびに課税されました。だから輸入品や遠隔地から運ばれた商品は、商人の間で取引されるごとに消費税が取られたので、商品の価格はどんどん上がっていくことになりました。当然、物価も上がるし、景気は低迷します。(大村大次郎著「脱税の世界史より抜粋」)』
日本の消費税は1989年(平成1年)導入されました。アルカバラ税と同じで、多段階課税ですから、価額は上がらなくてはならないのに、このところのインフレは別として、過去30年間、物価は下がり続けました。スペインのアルカバラ税とは全く逆の現象が起きているのです。
そこには企業家の必死の努力があったとも言えます。消費税導入直後において、家電量販店などは、消費税相当額3%の値引セールなどしておりました。しかし、消費税値引きセールは行政指導によりできなくなりました。
人件費の安い海外に生産基地を求め、国内においても問屋業がなくなるなど流通過程が垂直化して、日本の人件費は下がり続けました。
消費税導入後は海外からの安い労働力を入れ、人材派遣が当たり前のごとくなり、100円ショップが伸長し、とかく物は安ければ良いということになったのです。
例えば消費税が導入される少し前の昭和60年(1985年)頃のことと記憶していますが、次のような記事が新聞に出ていました。
百貨店での話ですが、同じハンカチを仮に500円と700円を並べると700円の方が良く売れるというのです。つまり高いものを買って大事に使うというのが、それまでの日本の美徳だったのです。時代は大きく変わりました。
日本国内に落ちなければならないお金が、日本人に渡らなくなり、国内景気を冷やす結果となりました。最近は同一労働・同一賃金が云われ、またリスキリングが脚光を浴びつつあります。これは一企業で定年まで働くということはできないし、大手企業であっても、40歳代以後は、結局給料は上がらないであろうから、生活設計がたたなくなります。今年辺りは政府の声掛けもあり、賃金が上がる方向にあるようですが、それは若い層が中心であり、中高年には及ばないのではないかと思います。若い層はそれを見て、結婚は躊躇するでしょうし、従って子供も増えません。
政府は子供を増やす政策をとる、と言っていますが、子供をつくる、つくらないは人間の営みですから、政府主導では無理です。
海外からの出稼ぎ組は、稼いだ金を自国に送金していますから、日本経済にはマイナスに作用をしています。
同じ現象はコンビニについても言えるのです。コンビニは東京資本ですから、大阪で売られる商品であっても、大阪圏内で仕入れがされているかどうかも分かりませんし、何よりも問題なのは、そこで回収されたお金は東京にいってしまうということなのです。
海外からの労働者とコンビニ問題の共通項は、地域にお金が落ちないということで括られますから、地域経済を冷やします。
更により本質的なことを言うなら、自由社会においては、その自由が保障されなければなりませんし、自由が保障されて行動が自由になり、獲得した財産の処分権にも自由があって、財産の蓄積もできなければなりません。これができなければ独立ができないのです。
ざっくりとした計算ですが、年収400万円であれば20%程度が所得税・住民税・社会保険料で消え、その残りの手取額320万円からほぼ32万円が消費税で消えます。つまり年収400万円の場合、可分所得は288万円でしかないのです。
国民が自主独立的に生きられず、財産の蓄積ができないようでは、自由な社会に生きているとはいえないでしょう。これでは日本は先進的民主国とは言えません。
消費税・法人税・所得税・社会保険税・その他の地方税など、日本の税制は、とかく緻密にできていると思います。しかしその緻密さが逆に日本人の手と足を縛っていて、多くの国民の生活が楽にならず、手足を縛っているとも言えます。
「鼓腹撃壌」は中国の故事です。意味するところ、腹いっぱい飯が食えて、政府(為政者)のことなど、日常生活では忘れていられるのが、いい社会ということです。
楽しい買い物のハズなのに、お金を払う都度、税金を意識して、腹を立てなければいけいないのですから、消費など増えるはずもありませんね。
以上のようなところから、消費税は存続させるにしても3%程度に戻すか、あるいは地方税にしてしまえばいいのではないかとも思います。地方税にすれば、各地方は創意工夫のもと、その地域に合った産業を起こすことになるしょう。ふるさと納税と同じです。国税が地方税になった例として、固定資産税があります。固定資産税は、明治期には地租税という名の国税でした。
消費税増税亡国論 植草一秀 2012年4月23日 発刊
10%消費税が日本経済を破壊する 藤井聡 2018年11月10日 発刊
増税亡者を名指しで糺す 田中秀臣 2018年12月13 発刊
消費税が国を滅ぼす 富岡幸雄 2019年9月20日 発刊
『アルカバラ税(スペイン)は、設定当初、譲渡価格の5%であったが、後、1377年に10%に引き上げられている。アルカバラ税は、農夫から貴族まで、すべての人に適用された。(中川和彦著 「中世のカスティージョリャの税制の素描から」の抜粋)』
『スペインはアルカバラ税の課税対象を拡大していきました。1590年には食糧品などの生活必需品にも課せられるようになりました。消費税は、現在でも国の景気を後退させる作用があります。現在、各国で課せられている消費税のほとんどは、その商品を最終的に消費する人だけが、1回だけ払えばいいという仕組みになっているのです。
しかし当時のスペインの消費税アルカバラ税は、その商品に1回だけ課税されるのではなく、その商品が取引されるたびに課税されました。だから輸入品や遠隔地から運ばれた商品は、商人の間で取引されるごとに消費税が取られたので、商品の価格はどんどん上がっていくことになりました。当然、物価も上がるし、景気は低迷します。(大村大次郎著「脱税の世界史より抜粋」)』
日本の消費税は1989年(平成1年)導入されました。アルカバラ税と同じで、多段階課税ですから、価額は上がらなくてはならないのに、このところのインフレは別として、過去30年間、物価は下がり続けました。スペインのアルカバラ税とは全く逆の現象が起きているのです。
そこには企業家の必死の努力があったとも言えます。消費税導入直後において、家電量販店などは、消費税相当額3%の値引セールなどしておりました。しかし、消費税値引きセールは行政指導によりできなくなりました。
人件費の安い海外に生産基地を求め、国内においても問屋業がなくなるなど流通過程が垂直化して、日本の人件費は下がり続けました。
消費税導入後は海外からの安い労働力を入れ、人材派遣が当たり前のごとくなり、100円ショップが伸長し、とかく物は安ければ良いということになったのです。
例えば消費税が導入される少し前の昭和60年(1985年)頃のことと記憶していますが、次のような記事が新聞に出ていました。
百貨店での話ですが、同じハンカチを仮に500円と700円を並べると700円の方が良く売れるというのです。つまり高いものを買って大事に使うというのが、それまでの日本の美徳だったのです。時代は大きく変わりました。
日本国内に落ちなければならないお金が、日本人に渡らなくなり、国内景気を冷やす結果となりました。最近は同一労働・同一賃金が云われ、またリスキリングが脚光を浴びつつあります。これは一企業で定年まで働くということはできないし、大手企業であっても、40歳代以後は、結局給料は上がらないであろうから、生活設計がたたなくなります。今年辺りは政府の声掛けもあり、賃金が上がる方向にあるようですが、それは若い層が中心であり、中高年には及ばないのではないかと思います。若い層はそれを見て、結婚は躊躇するでしょうし、従って子供も増えません。
政府は子供を増やす政策をとる、と言っていますが、子供をつくる、つくらないは人間の営みですから、政府主導では無理です。
海外からの出稼ぎ組は、稼いだ金を自国に送金していますから、日本経済にはマイナスに作用をしています。
同じ現象はコンビニについても言えるのです。コンビニは東京資本ですから、大阪で売られる商品であっても、大阪圏内で仕入れがされているかどうかも分かりませんし、何よりも問題なのは、そこで回収されたお金は東京にいってしまうということなのです。
海外からの労働者とコンビニ問題の共通項は、地域にお金が落ちないということで括られますから、地域経済を冷やします。
更により本質的なことを言うなら、自由社会においては、その自由が保障されなければなりませんし、自由が保障されて行動が自由になり、獲得した財産の処分権にも自由があって、財産の蓄積もできなければなりません。これができなければ独立ができないのです。
ざっくりとした計算ですが、年収400万円であれば20%程度が所得税・住民税・社会保険料で消え、その残りの手取額320万円からほぼ32万円が消費税で消えます。つまり年収400万円の場合、可分所得は288万円でしかないのです。
国民が自主独立的に生きられず、財産の蓄積ができないようでは、自由な社会に生きているとはいえないでしょう。これでは日本は先進的民主国とは言えません。
消費税・法人税・所得税・社会保険税・その他の地方税など、日本の税制は、とかく緻密にできていると思います。しかしその緻密さが逆に日本人の手と足を縛っていて、多くの国民の生活が楽にならず、手足を縛っているとも言えます。
「鼓腹撃壌」は中国の故事です。意味するところ、腹いっぱい飯が食えて、政府(為政者)のことなど、日常生活では忘れていられるのが、いい社会ということです。
楽しい買い物のハズなのに、お金を払う都度、税金を意識して、腹を立てなければいけいないのですから、消費など増えるはずもありませんね。
以上のようなところから、消費税は存続させるにしても3%程度に戻すか、あるいは地方税にしてしまえばいいのではないかとも思います。地方税にすれば、各地方は創意工夫のもと、その地域に合った産業を起こすことになるしょう。ふるさと納税と同じです。国税が地方税になった例として、固定資産税があります。固定資産税は、明治期には地租税という名の国税でした。
よい人材を得るために(令和5年3月)
令和5年2月28日
税理士 倉矢 勇
税理士 倉矢 勇
1人の長所を始めより知らんと求むべからず、人を用いて始めて、その長所の現わるものなり、
2人は、その長所のみを取らば即ち可なり、短所を知るを要せず、
3己が好みに合う者のみを用うるなかれ、
4小過を咎むる要なし、ただ事を大切になさば可なり、
5用うる上は、その事を十分にゆだぬべし、
6上にある者、下の者と、才智を争うべからず、
7人材は、必ず一癖あるものなり、
2人は、その長所のみを取らば即ち可なり、短所を知るを要せず、
3己が好みに合う者のみを用うるなかれ、
4小過を咎むる要なし、ただ事を大切になさば可なり、
5用うる上は、その事を十分にゆだぬべし、
6上にある者、下の者と、才智を争うべからず、
7人材は、必ず一癖あるものなり、
(荻生徂徠)
「同一労働・同一賃金」などと言われ出して、少し時間が経過したと思うが、本来人のする仕事に「同一労働」などというものはありません。判断力、電話への対応、段取りや計画、組織内連携における情報の発信や、その受け方、機転の利き方、手の速さなど、何を取っても人がする仕事に同一のものはなく、従って同一賃金もないのです。
仕事は他者との関係性において、同一のものはなく、当然賃金も人により変わってるもの、ということになるのですが、では賃金を微に入り細を穿って、人ごとに細かく決められるかというと、そういうものでもありません。
人はすべからく、一知半解です。使う側は従業員の能力を100%正しく評価することはできないでしょうし、使われる側にも、それぞれに自負心があり、認められたいと思う反面、評価をされること自体、その点数が高くとも必ずしも面白いものではありません。
たまに見かけるのは、他の従業員に内緒で個別折衝により賃金を上げるケースですが、どういうわけか、すぐにばれています。
これをすれば組織は懐疑と怨嗟と嫉妬の坩堝となり、人間関係が破綻して、給料を上げて貰った側からの不信も生じます。雇用者側が識らず組織を壊しているということになります。
リスキリングという言葉が出てきました
仕事は他者との関係性において、同一のものはなく、当然賃金も人により変わってるもの、ということになるのですが、では賃金を微に入り細を穿って、人ごとに細かく決められるかというと、そういうものでもありません。
人はすべからく、一知半解です。使う側は従業員の能力を100%正しく評価することはできないでしょうし、使われる側にも、それぞれに自負心があり、認められたいと思う反面、評価をされること自体、その点数が高くとも必ずしも面白いものではありません。
たまに見かけるのは、他の従業員に内緒で個別折衝により賃金を上げるケースですが、どういうわけか、すぐにばれています。
これをすれば組織は懐疑と怨嗟と嫉妬の坩堝となり、人間関係が破綻して、給料を上げて貰った側からの不信も生じます。雇用者側が識らず組織を壊しているということになります。
リスキリングという言葉が出てきました