2021.06.17
ムチ打たれ、縛られ、逆さ釣り…日本で本当に行われた、残虐すぎる拷問の数々
現代の司法制度にもつながる問題点
高野 隆 プロフィールシェア23ツイート
当時ボアソナードの生徒の一人であった杉村虎一らによると、ボアソナードが目撃したのは「一人の犯罪人と思わるる男を角のある横木の上に座らせ、大きな石を三四枚も抱かせて何か訊問しているところ」であり、男は悲鳴を上げていました(注2)。
彼は、直ちに当時の司法卿大木喬任のもとに抗議し、その晩のうちに、司法卿あてに拷問の廃止を力説する書簡を書いたのです。政府は翌1876年6月、「改定律例」318条を改正して「凡ソ罪ヲ断スルハ証ニ依ル、若シ未タ断決セスシテ死亡スル者ハ其罪ヲ論セス」としました。
司法卿だった大木喬任(国会図書館ホームページより)
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しかし、これは拷問を廃止したわけではありません。自白調書(「口供結案」)がなくても、他に証拠があれば良いと言っているだけです。わが国が法制度としての拷問を廃止したのはその3年後、1879年のことです。
もっとも、「法制度」としての拷問が廃止されたとしても、事実として拷問がなくなったわけではありません。法律が拷問の種類と方法を定めていないために、よりバリエーションに富んだ拷問が密かに行われるようになりました。小林多喜二が警察官の拷問で虐殺された話(1933年)は有名ですが、戦前の日本では、警察官、検事、ときには予審判事の手によって拷問ないし自白の強要が行われていました。
その道具として、警察は、違警罪即決例による「警察拘留」や行政執行法による「検束」という身柄拘束を利用して、何週間もときには何ヶ月も人を警察の留置場に拘禁して自由に取調べることができました。
被害者は泣き寝入りするしかない