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歴史
ボルジア家とイタリア人のカタルーニャ人への憎悪:スペインの黒い伝説はいかにして作られたか
2人のローマ教皇を世に送り出したバレンシア一族に対する偏見は、アラゴン王家の軍事的拡張の際にカタルーニャ人が背負った歴史的な悪評に端を発する。この疑念は、イタリアにおけるスペイン帝国に関する否定的な伝説の前身となった。
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ作『ボルジア家
ダンテ-ガブリエル-ロセッティによるボルジア家。
セザール・セルベラ
セザール・セルベラ
24/09/2021
更新 27/09/2021 at 17:25h.
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ローマ教皇ユリウス2世は、1511年にローマの放蕩ぶりでルターをスキャンダルに陥れた教皇だが、まだ枢機卿だった教皇アレクサンデル6世を「カタロニア人、マラーノ人、割礼者」(割礼者と呼ぶのはユダヤ人と呼ぶようなもの)と定義した。ボルジア家は、当時スペインの活況を呈していたバレンシア人であり、それを隠すことはなかったが、アラゴン王家のイタリア進出における軍事的・商業的な隆盛から、カタルーニャ人に対する憎悪の念は強く、15世紀後半には、邪悪さと貪欲さに結びついた侮辱としてその名が使われるようになった。イタリアにいるアラゴン人はすべてカタロニア人とみなされた。
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