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初期:カラルエガからパレンシアへ
ドミニコ修道会の創立者であるドミニコは、1171年から1175年の間に、カラルエガ(スペイン、カスティーリャ)で地元の貴族の家に生まれた。彼の母ジョアンナ・オブ・アザについては古代の証言が十分にあるが、父フェリックスがグスマン家に属していたことは、1555年に修道会によって公式に認められた15世紀の伝承によって証明されている。
叔父の大司祭のもとで教育を受けたドミニコは、14歳頃にパレンシアに行き、文法や弁証法だけでなく、神聖な学問にも打ち込んだ。
ドミニコは、勉強のために勉強するのではなく、より高い目標を目指して勉強した。パレンシアで起こったエピソードで、ザクセンのヨルダンが『説教者修道会の初期に関する小冊子』の中で語っているのも、このためである。貧しい人々の悲惨さに震え、憐れみに心を奪われた彼は、身振りひとつで、福音的勧告に従い、死にゆく貧しい人々の悲惨さを少しでも和らげようと決意した。そして、所有していた書物、とりわけ自分にとって不可欠な書物、すべての財産を売り払った。ドミニコは施しを与え、自分の財産を貧しい人々に分配した。
パレンカでの留学が終わる頃