「物質」を「具現化」する「能力」

意味わからない事ばかり書いています。しかしわかるものはわかっていた。ほんとに?嘘ぴょん!

3/19

2015-03-19 11:40:35 | 日記
昨日仕事の帰りの寄り道でマンガを買って帰った。
2冊買った。本当は3冊欲しかったけど なんか3冊買うともう本屋行く必要になくなることが悲しかったのであえて2冊にした。

そうするとキャンペーン中で(ドラゴンボールの映画の)1000円以上買うとその券が1枚手に入り7枚集めると超レア頭防具「ギャルのパンティー」が手に入るらしい。
ちなみにマンガ2冊だと926円くらいなような感じで ようは1000円に微妙に届かないというかなりもったいない買い物をしたが、そこで1枚でも券を手に入れてしまうと欲しくない本を7000円分買うということが苦痛になるため


僕は・・・・ギャルのパンティーをあきらめざるを得なかった。

※ギャルのパンティーは景品に無いと思います。たぶん少し若返るとかそんなだと思う。

プリンと茶碗蒸し 3/12

2015-03-12 17:56:39 | 日記
プリンより茶碗蒸しのほうが好きだ豪語していたものの あまりに食べ過ぎたのか あきっぽいのか それとも はたまた あきっぽいのか もう茶碗蒸しをめったに食べなくなりました。

まぁ茶碗蒸しもプリンも食べなくたってそんなに困らないのですが でも なんかそれはそれで少し寂しいけど プリンや茶碗蒸しのためにわざわざ食べるというのも なんかくそみたいな自分のプライドがゆるさないというか なんかプリンと茶碗蒸しに気を使って「そんなにいやいや食べられるくらいならこっちから願い下げだワン!!」とか言われそうなので
やっぱり食べれません。

ていうか食べ過ぎたんですね。過去に
よくある。「牛乳が体にいいからってバケツ一杯飲まないでくださいね」とか
海水で顔の周りを覆われて溺死しそうなときに「のめばいいじゃない!」とか

もう 常識で考えれば駄目だろ!と言うことですね。

でもプリンも茶碗蒸しも別に体にいいとか悪いとか効いたこと無いけど食べてました。
いやーでも久々に茶碗蒸しを食いたいと思うようなそうでもないような。

寿司屋いって茶碗蒸しだけ大量に頼んで食べて帰るという暴挙を一度やってみたい

けど

そんなに茶碗蒸しをたべたくない。 と言うことで久しぶりにコンビニでプリンかって帰ってやっぱり食べたくないから母親に上げようと思います。

でもやっぱり気が変わると思います。いや、忘れると思います。

忘れちゃいけない過去がある。お金で買えない価値がある。


人間の命って本当に平等ですか?命に差はありませんか?

よし、やっぱり茶碗蒸しかって帰ろう!

みたいな。3/5

2015-03-03 19:00:08 | 日記
クリスマスもお正月もバレンタインもひな祭りも終わってしまった。
昔はお祭り関係がすごいスキデ 後の祭りほど辛いものは無かった。

当時はただただ祭りが終わった後の悲しさをむなしさをどう表現していいかよくわからなかったけど。今ならこういえる
「何が楽しくて生きているのか分からない」みたいな。

いまは逆にそこまで思い入れがないからどんなイベントが嵐のように過ぎ去っても
「俺には関係ないや」みたいな。

だけどたまに会社の同期とかガッコの同級生とかと飲んだりとかするとめっちゃはっちゃけるものなー・・・まぁ業務外ではいつでもどこでもはっ茶けているけど。

なんか表面上は変わったような気がするけど中身は全然変わってないと思う。

自分は小学校くらいのときからこんなんだけど あんがい「変わった」って言っている人も中身というか根本的なところは変わっていないのかも知れない。

本人の表現が変わっただけで それが他の人から「変わった」ように見えるだけで本当はそれが「元」なんじゃない?

なぜこれが好きなのかの理由とかそんなの「好き」だからにきまってるじゃん!みたいな