仕事の撮影でいるものを倉庫の奥でごちゃごちゃやっていると
懐かしいアルバムがでてきた。
僕の中のある意味、青春というやつだったのかもしれない。
アルバムに写っているリーゼント頭の高校生、初対面の方が見たら
決してまじめ君ではなさそうな印象をうけそうでみんなゴミ箱に捨ててしまった、
高校ですら親に行かなくてもいいよと言ってたのだけど母の勧めで将来好きな道に少しでも行けるようにと
大学までいく事を望まれた。
中3の時くそガキ(笑)ながら自分なりにすごく考えて、「じゃ芸大!」と決めてから
めちゃくちゃな学生生活、友達といえば皆、世間一般人の大人様からみたら不良の固まりみたいだったので
バイク!ロック!というだけでごちゃ混ぜになってた時代なせいでしょうかね。
多分昭和30年~40年代世代の方ならお察しかと思いますが、でも今振り返るとほんとに楽しい時代でした。
高校1年から絵の予備校に行かなくてはいけなかったので、週の半分はまじめ君組で、根っからの悪ガキ友達には
よく裏切り者~とかなんだよ大学?絵?だせーなんて言われたことも。。
(小学校4年からの付き合いで僕にギターを教えてくれた大親友は高1の時にバイクで事故死に)
高校3年のときの写生(10時間で描く)
これは2浪かな、直前の模試で描いた2次試験の着彩
受験やるからには絶対現役でいくぞ俺は~なんて当時思ってたけど、超あまかったんですね。
僕が行っていた予備校には日本画って科がなくて、彫刻の先生(先生っていっても多分当時学部の生徒さんだったんだよね)
に教わってて、高校2年の終わりに気が付いた。おふくろはよくバカはお前だって言ってるけど
いい予備校あったから行ってみようよなんて言ってたガッコに入って気づくの遅いよ~
でも、この時から独学は最大の美学だ~なんて思って、、結局丸4年浪人して最後は不合格。
予備校の学長さんはよく知らなかったのか1次試験の合格を受けてもう祝札を張出してたのはなんだったんだろう。。(笑)
当時、3浪したあたりで自分なりの芸術感みたいなものがたくさん湧いてきてしまったので
最後に受験したときは最終発表すら見にいってない、今思うと10年位やってたって全然よかったようにも思う。
ただ、現平成の29年の時代ではありえない事だと思うけど。。
3浪の合格発表を見た帰り、上野をぶらぶらしていた時に街頭スピーカーから流れてたなごり雪が懐かしい。
古いアルバムを見たせいかちょっとだけ本気でまた絵の製作もいたずらしているmautee作者。