小説として読むべきか、評伝として読むべきか迷う文章。
外骨びいきが目立つというか、あまり客観的ではない記述が目立つので小説と捉えるほうがよさそう。
そのころの感覚でも褒められたものではないだろう外骨のエピソード、たとえば「雑誌発刊のために親に金を貰っておいて(当時珍しかった)自転車に全額費やす」とか、それ自体はいいんですが。
そういうエピソードを取り上げたうえで、無理やり外骨を弁護するというか、「そういうところが外骨という人間のいいところだ」みたいな論調。
言いくるめをしている感がものすごくて、評伝として読むには違和感を感じます。
「小説として捉えるほうが」とは書きましたが、かといって、小説としてもちょっと評価しにくい……
内面描写はあるんですが正直薄っぺらく、「悪の政府や堕落した他の新聞社・出版社に、筆で立ち向かう正義のジャーナリスト」みたいな二元論的な構図がなんとも。
そのくせ、前述のようなエピソードも取り上げているせいで、二元論の構図と食い合わせが悪くなっていますし、さらにそこに無理やりな外骨美化を挟むので、なおさら違和感がひどい。
外骨を正義のヒーローにするつもりなら徹底すればいいし、そうでないなら下手な弁護をしなければいいのに……と感じてしまいます。
ただ、取り上げられているエピソードや、外骨という人物自体はおもしろいので、そのおかげで読めるという感じです。