「社会福祉士」の独り言Ⅱ-日々の雑感

福祉に関わる事柄の他、日々感じたことを書き綴っていきます。

2011.3.11

2017-03-08 05:05:16 | 震災
3月11日(金)は、いわき市総合保健福祉センター3階の会議室で、市内6か所の委託相談支援事業所の方々といた。突然、携帯の緊急地震速報が鳴り響いた。一時、間をおき、大きな揺れを感じた。幸いこの部屋は、周囲に倒れるものがなく、テーブルにつかまり揺れがおさまるのを待つしかなかった。宮城県沖地震(1978年)を経験していたが、揺れがだいぶ長かったので、市職員の方に、思わず「これは阪神大震災を超えるくらいになる」と言ったのを覚えている。会議は中止、その場で解散、各自の事業所に戻るということになった。玄関に出て、5階建のセンターを見上げると、耐震化された新しい建物なので、目立った被害はなかったように見えた。同僚3人と車で戻る途中、ラジオから状況が少しずつ伝わってきた。事務所が入っているいわき市社会福祉センター(旧産業会館)の5階建ビルは、入り口周辺の基礎や階段が壊れ、立ち入り制限されていたが、3階にある事務所まで階段を駆け上がり、必要なものを持ち出すことが出来た。避難場所となる向かいの公園で待機中、携帯のワンセグテレビを見たが、ちょうど映ったのが、岩手県の釜石港に津波が押し寄せるNHKの中継映像だった。余震が続くなか、自宅に5時前に戻ることが出来たが室内は、予想通り、書架が倒れ書籍類が散乱、食器も棚から落ち、破片が散乱していた。タンスなどは、天井と突っ張り棒で固定し、倒れることはなかったが、棒が壊れ、30センチ前後動いていたのには驚いた。宮城県沖の時は、電気、ガス、水道が止まったことを思い出し、浴槽、たらいなどに水を確保したが、やはり、夜半には断水となってしまった。幸い、水道以外のライフラインは大丈夫だったので、その夜は、テレビから情報を得ながら、室内の後片付けに追われた。自宅には、飲料水、非常食と1週間は確保していた。しかし、沿岸部の津波被害、原発のメルトダウンにより、物流が止まり、食料、ガソリンの入手困難。水道も4月6日まで断水することになるとは、その時は想像出来なかった。