あんふにと小さな仲間たち

片隅に居る小さなキャラクター達の日々の日常を紹介しています

イエス・キリスト尾崎豊 絵の子供達を通して奇跡を起こす

2021-05-30 13:56:45 | 日記

神様成るイエス・キリスト尾崎豊様は今回、この世に人間の御姿をして来られました。そして神様としての内側の部分を音楽で有る歌を通されて、述べ伝え られておりました。

また、神様、十代のカリスマ、教祖と呼ばれていました。正しく判る人には判られたのでしょう。しかし、その時は本当の神様で有る事は夢にも思われていなかったと思います。自分の目の前に神様が居られるとは信じがたい事ですから。又、神様で有ると分かってしまえば、人間は本当の姿、本心を神様に表さなくなってしまうのです。神様が人間の御姿で来られたのは、人間のありのままの姿を知る為でした。

しかし、神様の外側は人間でしたので、ごく普通の悩める一人の人間だったのです。なんら私達と変わらないのです。しかし、その外側からも神様としてのオーラがあった事と思います。

神様で有る事を歌を持って表現してから、程なく現世を離れて私の元に来られて、本当の神様であった事を時期を見て、伝えられたのです。生きている時に伝える事が出来なかった為です。神様は奇跡を通されないと伝えられ無い為です。

この奇跡を通して神様を知らせる役目があったのです。人間は奇跡が無ければ信じる事が出来ない愚か者だからです。普通の暮らしの中では信じる事が出来無いのです。奇跡を通してようやく神様の存在を信じる事が出来るのです。

創世記の始めから居られる神様は、ようやく現代にその御顔を現して下さりました。

その意図する事は、こんなにも神様が人間的で素敵で優しい心を持たれている事を世に知らせる事で、神様の存在をもっと身近に思ってもらいたかったからだと思います。そして人間が原点である神様に還られる事を望んでおられるのです。

世の中は心を無くし、お金さえあればいい、と言う風潮の中で心を痛められた神様が、そうでは無い心が大切で有る、と伝える為だったのです。全ては神様の愛によるものなのです。その愛を伝えることがイエス・キリスト尾崎豊様の目的なのです。

無名で有る、あんふにの絵を通して伝えられたのです。

私達の分身で有る子供を通して伝えたのです。

 

内側を見ずして、外側ばかり見てはいけません。内側にある輝くものを見なければいけません。

汚れている人はその汚れたものを出します。これは良く判るのですが、

外側を綺麗に見せて内側の汚い人もいます。しかし、最後にはバレてしまうものなのです。内側の汚さは神様には隠す事が出来ないのです。

神様に寄って暴かれるのです。

神様も普通の人間としての感情をお持ちなので、人にされた事は忘れ無いでしょう。

良い事も悪い事も忘れる事は無いでしょう。

ありのままを知る事が出来ました。これが人間として来られた理由です。

弱い一人の人間として来られ、そして愛有る歌で多くの人々を感動させました。

この人間に対して、どう接したかを神様は見られたのです。

愛を知り、愛で返したかを見られたのです。心が感動した事に対してどの様に接したかを見られたのです。

その内側にある心を見られたのです。

愛を欲望に変えた者を見られたのです。

万物の創造主である神様が、イエス・キリスト尾崎豊様を通して

見られたのです。

自分の可愛い御子を通して、見られたのです。

 

2006年世に出されなかった神様の愛の絵 投稿作品