尊厳の念
仕事をしている中で、ちゃんと指摘してくれる人を私は尊敬している。その仕事に忠実で有り、一生懸命されている事が伝わるからだ。
仕事を教えて頂けるありがたい存在だ。この方々により私は仕事が出来るのだ。
どんな仕事でも忠実に頑張れる事は、神様の御心にかなった立派な人達である。
その人に寄って与えられた色々な仕事が有るだろう。それを全うする事でその人の魂が成長するのだ。
その仕事に寄っては、大変辛い事も有るだろう。やりたくない仕事もあるだろう。
しかし、その裏側にはやりたく無い仕事程、魂を美しく輝かす事が出来る事を知っている人はいるだろうか。
世の中は神様の采配で回っている。やるべき事があらかじめその人に用意されているのだ。その人に見合って采配されているので有る。それは、その人による過去世によるもの、その魂の磨かれ次第なので有る。なので不平、不満を言う立場では無いのである。
なのでこの世で楽をしようとする人程、苦しく成ると言うカラクリが有るので有る。魂が磨かれ無いと苦しく成るので有る。
そのヒントは小さな虫達の中に有る。蟻の中ではちゃんと始めからやるべき仕事が決まっていて、働く蟻、戦う蟻、育てる蟻と最初から決まっているので有る。それが人間の中にも有ると言う事だ。
人間には自由意志が与えられている。ロボットでは無いからだ。ロボット程つまらない物は無いだろう。
なので神様にもこの意志はコントロール出来ないので有る。
それ故に人間は自由な意志を持って、悪い事をしたり、良い事をしたり出来るのだ。
それを神様がちゃんと見ておられて、その人を判断しているのだ。
神様は豊かな心が大好きだ。豊かな心をこよなく愛している。ただ、仕事をして眠るだけの生活は味気なく、心が感動しないからだ。感動する事が働く原動力になるからだ。
この様に、心が感動するものを神様はこよなく愛するのだ。なので、神様は始めから愛を持って愛から私達は生まれたので有る。なので、この感動を与える人こそ神様が愛すべき尊き人なので有る。イエス・キリスト尾崎豊様がまさにその愛全き尊き人なので有る。
なので、心を大切にする人を神様は心から愛するので有る。
これが分からず、欲望に変える者は心無い者で有り憎むべき者となるので有る。神様の愛を欲望に変えてしまったからで有る。
尊厳の念を持たずして、与えられた自由意志により嫉妬や妬みを起こし、欲望のまま感動を与える人を苦しめる事を許さ無いので有る。
多くの人達が感動する事を楽しみにされて居たからで有る。多くの人達の仕事の原動力になって居たからで有る。多くの人達の感動を奪ったからで有る。
万物の創造主で有る神様が感動する事を楽しみにされて居たからで有る。万物の創造主で有る神様の仕事の原動力になって居たからで有る。万物の創造主で有る神様の感動を奪ったからで有る。
感動する事はより神様に近く事で有り、神様を感じる事なので有る。その神様の御心に反して、感動を与えた人を苦しめた者に対し神様は容赦しないだろう。
苦しめた者には感動する事は与えられ無い。もう、感動する事は無いだろう。
心無いロボットの様な生活に成るだろう。
全てが自分の自由意志に寄り、自分が自分でそうしているのだ。
決して逆ギレを起こしてはいけない。恨むのは自分自身なのだ。
2004年 世に出されなかった神様の愛の絵「あみとたか物語」アナログ投稿作品