西風~年がら年中真っ黒け~!

795/~消え行く「学び舎」達・・・【><。】

此処にUpした『215/~消え行く「学び舎」達・・・【><。】は2009年11月12日 の記事で、今から約12年前の過去に遡ったブログです。

『 過去2~3度、木造校舎が解体されるのを目の当たりにした事がある~あれは見ていて辛い・・自分の卒業した「学び舎」でなくても、あれは辛い・・
 重機(ショベルカー)が校庭に入り、大きなエンジン音を唸らせながらそのアームが動く度に「バリバリ・・」と、校舎の解体される音が聞こえ、それはまるで学び舎の悲鳴のようだ・・【><。】
 さて、私は「学び舎」・・特に、木造校舎(現/休/廃校・含む)巡りを楽しんでいるが、実は数年前まで「休/廃校」の違いがもう一つ判らなかった。
 確かに休校した学び舎が再開校した前例はない事はないが、正直無いに等しく、どうしても「休校=廃校」の図式が頭を過ぎる。では、何故、使われなくなって数十年経つのに未だに「休校」だったり、逆に、比較的新しい校舎なのに「廃校」扱いになってたりするのだろう?
 そんな疑問を持つ方は多勢居られる筈。其処で読売新聞記事(08年1月11日付け)↓に判り易く記されているので、此処に紹介したいと思います。』

※岩国市立六呂師小中学校 2009年4月撮影 
 HDR処理画像 右)中学校 左)小学校 
 解体済 

  『 -「廃校」できず「休校」 理由は・・「国補助金返せず」-』
 あと数年で、全国の公立小中学校が、1100校以上も消える見通しとなることが判明した。読売新聞社の全国調査では、廃校状態なのに、校舎建設時に国から受けた補助金が返せないといった理由で、「休校」する学校が続出していることも判明した。「学校を統廃合しようにも財源がない」――。全国の自治体からは、苦しい台所事情に悲鳴があがっている。
 徳島県西部にある人口1万人強のつるぎ町は、小学校19校のうち14校が「休校中」。最も長い学校は10年以上も休校が続いている。
 2003年に休校した端山(はばやま)小学校は、用務員だった女性が町からの月1万円で草むしりや花の手入れをしている。3階建ての校舎は物置代わりで、05年に2町1村が合併する前の書類が積み上げられていた。
 1997年休校の平野小学校は、高齢者デイサービス施設として、カラオケセットなどが備えられ、06年休校の皆瀬(かいぜ)小では、お年寄りがカーリングに似たスポーツを楽しんでいた。
 どの小学校も廃校にできないのは、校舎の耐用年数に達していないのに廃校にすると、建設時に受け取った国の補助金を、残った年数に応じて返還する必要があるため。徳島県教委によると、県内の公立小271校中46校が休校中で、つるぎ町教委の切上悦男教育長は「補助金返還の免除や取り壊し費の補助がなければ手に負えない」と語る。

※岩国市立柱野中学校 解体済 2009年4月撮影 
  HDR処理画像
 
すでに42小学校のうち13校が休校している広島県庄原市も、今年度末で小学校9校が休校となり、実質的に小学校が半減する。
 12年度までに小学校5校を2校に減らす計画を立てた群馬県嬬恋村は、計画を凍結中。5校の校舎はいずれも小規模で、統廃合には校舎を二つ新築しなくてはならないが、建築費10億円に対して国の補助金は2億円程度しかないため、統廃合に踏み切れないという。
 村教委では「統廃合は村の財政効率化にもつながるのに財源がない。同じ思いをしている自治体は数多くあるはず」と訴えている。

 [解説] 公立学校の統廃合は地域社会を壊す可能性もあるため、慎重に進める必要がある。それが、ここに来て急激に進んでいるのは、少子化のペースに比べ、再編・統廃合が追いついていなかったからだ。
 公立小の児童数はピークの1981年から2006年までに40・2%減少したが、学校数は9・4%減っただけ。その結果、国が標準規模とする12~18学級に達している小学校はほぼ半数で、複式学級を抱える5学級以下の小学校が3105校もある。
 小規模校には子供に目が行き届く利点もあるが、人間関係の固定化や学力向上を図りにくいことなど、マイナス面の指摘も多い。
 教育再生会議も先月の第3次報告で統廃合を進める自治体の支援を求めた。文部科学省もスクールバス購入の補助や教員定数の激変緩和など対策を取っているが、財政事情から統廃合ができないため、耐震基準に満たない校舎を使い続ける自治体も少なくない。校舎建設の際の国の補助率(原則2分の1)の上積みなど国のさらなる支援が必要だ。(地方部 高橋敦人)(2008年1月11日 読売新聞)』
 
と、いう事ですね~・・
 去年まで在った学び舎が、今年訪ねたら解体されて、更地に・・・其処には金次郎像と講堂だけが残っていた・・今年も沢山の学び舎(休/廃)を訪ねたが、果たして来年はどれくらいの数が残っているだろうか?・・現存する今のうちに、出きるだけ多く記録に残しておきたいと、切に思った次第である・・・西風21』
※現在、全国に現存する「木造学び舎」は皆無に等しく、其の殆どは更地になり、グランドと金次郎像だけが残された状態だと思います。それに「平成の大合併」で故郷の地名も無くなった方達も大勢居られるでしょうね。それに伴い校名も統廃合された学び舎も沢山あり、果たしてそれが私達が卒業した母校と呼べるのかなぁ・・それを思うと少し寂しいですね・・皆様、今度帰省した際、ご自身の通った学び舎は現存しているでしょうか?あの思い出の沢山詰まった学び舎が、もし無くなっていても、どうか皆さん、心の中にだけでも永遠に"現存"させてくださいね・・・(´;ω;`)ウッ…

コメント一覧

西風21
yamaguti2520さん😀
お疲れ様です。いつもありがとうございます。
ええ、勿論、1番の原因は少子化なのですが、
その少子化を招いたのは政治です。
現在の経済状態が続く限り、結婚
、出産なんて程遠い気がしますね…
なんだか寂しい限りです。
本日はコメント頂きありがとう御座いました😊
yamaguti2520
本当に、そのとうりですね!
オジンの母校はマンモスこうなので無くなることはないですが!村の小学校の用務員をしていますが、子供の数が減っています。オジンの務めている間に無くなる事も考えられます。政治の責任なのでしょうか?
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