MIFFYのきまぐれ日記

ちょっと前まで看護学生でした☆
4月から、介護として回復期リハビリ病棟で働いてます(^-^)

ありがとうございました。

2010-05-11 19:43:48 | 日記
こんばんわ☆

かなり更新が滞っていたMIFFYです…。

実は、8日の夜中3時前に祖父が急変したと連絡がありました。

数日前から、酸素はしていました。

しかし!!!

7日に、祖母が病院には行けないが大丈夫ですか?と確認すると、大丈夫だと言われたそうです。

慌てて、祖父の元にかけつけました。

祖父は、呼吸も意識もありましたがもう意識は混濁していて苦しそうでした。

見ているMIFFY達も辛くて辛くてでした。

もう、これで呼吸や心臓が止まってしまうのではないかという状態が何度もありました。。。

しかし、祖父は頑張りました。

7時17分。親戚や家族に見守られつつ永眠しました。

おじいちゃん、ありがとうね。

6年前の6月。

早期胃がんが発覚したので、2/3の胃の摘出手術を受けました。

術後は順調ではなく祖父も祖母も苦しみました。

しかし、無事退院しました。

祖母がイレウスのOPEなどで入院したりした時…

毎日、自転車で駅まで出てバスで通いました。

その頃から、小柄だったけどちょっとぽっちゃりしていた祖父は痩せました。

術後半年。

肝臓への転移発覚。

抗がん剤の為に、何度も何度も病院に通ったり…

発熱などで入退院も繰り返しました。

この時、余命は1年10カ月と宣告されました。。。

けど。

一生懸命、治療を頑張った祖父。

今年2月末から食事が取れない。と言っていました。

3月13日。

病院を受診。

CTを取りました。

主治医からの説明では、肝臓に転移あり。

余命1カ月。

母が、帰り道に祖父といろんな所に行けて良かったね。と言った事をおぼえています。

まだ・・

現実を受け入れる事ができずに、祖父は退院できるって信じていました。

数日後胃カメラをしました。

胃への転移発覚。

18日。

輸血と抗がん剤の治療開始。

副作用が酷かったです。

まるで。。。

肝性脳症のような状態。

そんな状態でも、祖母も叔父も通ってくれました。

抗がん剤の副作用が強い事。

臓器の中から出血していることで貧血。

本人の意思の元。

オムツに移行しました。

もう、ほとんど寝たきりに近い状態でした。

一時は、顔いろも良くMIFFYももう一度退院するって思いました。。。

4月からは、リハビリも本当に少しずつしてもらってたし…

しかし…

4月末から、状態が段々と悪くなって言ってました。

本人も、死期が近い事に気づいていたそうです・・。

母が、3日に「母の従姉妹がお見舞いに来るんやで」と祖父に話すと

祖父は、「泡の出るもの(ビール)を用意しとかないといけない」と言っていたそうです。

それに…。

叔父が行った時には、鉈はあるか?と聴いたそうです…。

MIFFYの祖父母の地域では、魔よけに鉈を亡くなられた頭元に起きます。

MIFFY。

バイトバイトで行けなくなってしまっていました。。。

おじいちゃん。ごめんなさい。

こんなMIFFYを許してね。

心臓が止まった時。

エンジェルケアの時。

棺に入る時。

何度も何度も「おじいちゃん。おじいちゃん。」って言いました。

けど。

返事はしてくれないし。

冷たくて固い体でした。

当たり前の事だけど…。

祖父を見ていると、また話しをできそうでした。

とっても辛かったです。

祖父は、小柄だったけど。。。

一生懸命。畑仕事。祖父の看病。老人会でのお付き合い。に尽くしました。

とっても小さな骨でした。

骨壷にしまう時に、骨が小さくなるのが祖父がかわいそうでした。

本当に、おじいちゃんありがとう。

天国でみんなを見守ってね。

また、天国で会おうね。






















MIFFYは…

祖父が急変してから情緒不安定が続いています。

ちょっとした事でイライラしてしまったり…

その為に、母や妹と衝突したり…

イライラが止まれば涙ばっかり…

お通夜の夜は。。。

約1時間も涙が止まらずずっと泣いてました。

どうしても、涙が止まらない。

遺影をみると、涙。

ただ呆然とするだけ…。

その後は、少し落ち着きました。

けど。。。

葬式の朝も、ちょっとした事でイライラ。

親戚も居る場所で涙が止まらない。

もう、ずっとそんな状態です。

涙が出る事は仕方が無い事。

けど…

イライラしてはいけない・・

自分で解って居るのに…

抑制できない。

そんな泣きじゃくる自分にイライラ。

イライラする自分にイライラ。

ちょっと落ちつかないと…。