えんおりの縁(えん)

読んで頂いた方とささやかな「縁」を結んでいければと、広く自由にあれこれ思いや感情を発信する町工場のブログです!

社名が変わります!

2023年01月27日 | お知らせ
  ブログの更新がだいぶ疎かになっておりまして申し訳ございません。 久々の投稿となります。 


  今回は皆様にお知らせしたい事がございまして投稿させて頂きました。 前回のブログで弊社が今年度で会社創立50周年になりますとご報告させて頂いたのですが、この節目の年に、記念となる何かをやりたいと思っておりました。



  記念品を作製してお世話になった方々に差し上げるとか、記念の会を催すとか、あれこれ考えていたのですが、いまいちピンと来ない。 そんな中でふと思ったのが、会社名を新しくするという事でした。



  私が入社してずっと疑問に思っていたのが、何故染色工場なのに”流通センター”という社名になっているのかという点です。 実際初めて連絡頂く方の中には弊社を「物流会社」とか「運送会社」だと最初思われてしまうケースが結構あるんです。 まぁ仕方ないですよね...



  先代に聞いた話では、元々先代はリネン商品を販売する商事会社から立ち上げたとの事で、その会社は実の弟さんに譲り、自分はいずれやってみたかったリネン商品の製造会社を新たに立ち上げたのでした(最初は業務用タオルの製造会社で、浴衣の染色は考えていなかったそうです)。



  その際、弟さんの販売会社とはっきり分ける為に、物を作って問屋の方々に流通させていくという事で現在の社名になったそうです。 理由は分かったけど、やっぱ現実問題として勘違いされる方がいらっしゃるのは分かりにくんじゃないかな~、と。



  そこで最初の話に戻るのですが(^_^;) 将来に残る事をやるならこのタイミングで社名を変更したらどうかなという事に辿り着いたのでした。 染色工場って分かるってよりも、弊社のオリジナリティーが染み出る社名にしたいと思ってますww そんな大した変更ではないのですが、ここ暫く色々世の中も激しく動いていますからね、気持ち新たにリスタートするには丁度いいタイミングではないかと。



  またその時が来ましたらキチンとご報告させて頂きます。 それではまた!














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五十周年!

2022年04月19日 | 思い
  先日(と言っても一ヶ月以上前ですがw)、いつもお世話になっている銀行さんの支店長がいきなり花束抱えて会社に来られまして、「五十周年おめでとうございます!」との第一声。 あら、そう言えば3月10日でウチ創業から五十周年だった...ww  完全に忘れていたよ... 支店長さんありがとうございます(こちらの銀行さんとも創業以来のお付き合い(*^^)v)!




  何年か前から思い出した時には時々意識してはいた五十周年。 でもここ最近は、コロナ、外出自粛、自然災害、 更に直近ではウクライナ問題、円安、材料燃料価格の高騰と、もうこれでもかこれでもかという寄せては返す試練の波の連続💦💦💦で、翌月どう状況が展開するか全く分からない状況でして、いよいよ会社創業から五十周年なのかとしみじみ思いに浸る余裕等これっぽっちもありませんでした。 


  しかし、この激動の中、創業者(私の父です、今も健在です、念の為)から事業を引き継いではや16年目の春。 こんな小さな小さな、吹けば飛ぶ様な零細企業が、ほぼ業務用浴衣👘の染色加工一本でよく続けてやってこれたなぁと、今になってしみじみしてますww


  
  昨今は起業がブームというよりは当たり前になってきましたが、支店長さんのお話によると、中小零細企業の寿命はおおよそ創業から数年で多くが倒産・廃業となってしまうそうで、10年存続出来る企業は一割も無いとの事。 マジかよ! 何か肩の荷が重くなった様で、聞かなきゃ良かったかな...(^^ゞ  



  自分はただ引き継いでいるだけなので偉そうな事は言えませんが、創業者は、それはそれは大変な苦労をして、時には賭けの様な勝負に出て(創業当時は第一次オイルショックの真っ只中だそうで、やっぱいつの時代も厳しそ...)、がむしゃらにやってきて自分にバトンを渡してくれました。 そして半世紀。 よく頑張ってきたよ、遠織流通センター!



  弊社が身を置いている観光業界はここ数年もう逆風が吹きっぱなしで、コロナじゃないけど慣れて免疫が出来てきたようなw。 それは冗談ですが、ここまで続いた事がレアケースというならば、ここで終わってしまうのは勿体無いし、まだまだ会社の寿命を延ばしてあげたい!  どこまでやれるか分かりませんが、ヘロヘロになっていた自分に大きな勇気を与えてくれた、そして今だからこそ大きな意味があった、この創業五十周年の節目をしっかり噛みしめていきたいと思います。


  
  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナの避難民受け入れで思った事

2022年03月09日 | 思い
 前回の書き込みからかなり時が経ってしまいましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。 弊社も新型コロナの影響をまともに受けている業界なので、正に現在”どん底”状態ですww(もう笑うしかない) ケセラセラってか!?


 話は飛びますが、ウクライナの避難民の方々を日本政府が人道的観点から積極的に受け入れるという方針である事を、岸田総理が表明してから数日。 いよいよ受け入れが実際に始まって私としては嬉しく思っています。 来られる皆さんが一日も早くウクライナへ笑顔で帰国出来る事を願わずにはいられません。


 ただ、国内では習慣の違いや治安等に対する不安から異論があるのも事実です。 そんな中思ったのですが、避難民の受け入れって日本は初めてではなく、そういやぁ昔ベトナム戦争の時にもベトナム避難民の方々を受け入れた事があったなと、自分の経験を思い出したんです。


 あれは自分が小学校3年生の頃かな(1976年位?)  当時私の家の斜め向かいに住んでいた民生委員の方が来られて、「ベトナムから避難してきた子がウチに来ているので会ってみない?」という話だったの。 後から分かったのですが、私の住んでいる浜松市には当時避難民を受け入れるキャンプ施設があって積極的な活動をされていたそうなんです。



 まだ外国の人と話をした事の無い自分には興味津々の話でして、即答OKして近所の友人数人と民生委員の方の家へ行きました。


 そこにいらっしゃったのは自分より2~3歳年上位の姉弟さん。 常に笑みを絶やさず応対してくれた事ははっきりと覚えています(^^♪  通訳の方を通して話をしてみると、自分と全然変わらない普通の人達。 とにかく優しい。 髪が黒々と光っていてとても綺麗。 箸の扱いが自分より上手いww   その場には「戦争」という言葉やイメージが存在する余地など有り得ず、限られた時間でお互いの事を少しでも知ろうと、ただそれだけでした。 プチ国際交流大成功♪


 帰り際に皆で記念写真を撮る事になり、ポーズは皆Vサイン(^^)vでと決めたのですが、弟さんが相手に手の甲を向けるVだったのが印象的でした。  この経験は自分にとっては忘れられない暖かい思い出として記憶の片隅に残っています。


 そういった経緯もあって、現在私の住んでいる町内にはベトナム避難民の二世の方々とか、更には産業的経緯から出稼ぎに来られたブラジルやペルーの方々とか、ご近所さんが様々な国の出身でして、「民族のモザイク コーカサス」って感じでしょうかw  浜松には「来る者拒まず」って気質があると個人的には思っているので、そういう環境も良い方に活かされているのかも?


 やはり各国々の人達にはそれぞれの生活スタイル・流儀ってものがあるので、生活していく上でそれがぶつかってしまうのは当然です。 私の住んでる町内でも、町内会活動やゴミ出し等、ちょくちょくトラブルが発生します。 でも自分を含めて皆さん何とか仲良く気持ちよく暮らしていきたいという想いは同じですから、共通理解、妥協点を見つけようともがきながら力強くたくましく生活しています。 ズッコケながらも地域共同体として立派に成り立っています。


 これから続々と必死の思いで避難されてくるであろうウクライナの方々と一緒に生活していく中で、必ずトラブルは発生すると思いますが、そういう事一つ一つをおろそかにせず、お互い相手の生活習慣や考え方を知ろうと積極的に関われば、必ず解決の道は開けてくると思います。 実際自分が多様性町内で生活してきて実感する事です。 将来自分達がウクライナの方々と同じ立場になる事だって有り得る訳で、自分の問題として気持ちを共有する事が今とても大切だと思います。 こんな事を思っていたここ1,2日でした、それではまた!


 


追記:  話が戻りますが、浜松に於けるベトナム避難民救済活動の事で調べていたら、白波瀬達也先生という社会学者の方が、当時の事について関係者の方に取材してまとめた記事があったので、此度の参考になればと思いましてリンクを貼らせて頂きます。

     
     「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|白波瀬達也|ニッポン複雑紀行

      

         


         

     

       

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衆院選2021

2021年11月01日 | 思い
 いきなりですが、衆院選の開票速報を観ていて感じた事があったので正直に書かせて頂きます。




 何で若い人達に世代交代する事が出来ないのでしょうか?  何故60代、70代の議員の方々がまだ結構な数いらっしゃるのでしょうか?  もういいじゃん、充分頑張ってこられたんだから。




 この年代の方達に20年後、30年後の国の進むべき道を託しても無理だと思うんですよね。 良い悪いの話じゃなくて、 若者世代の気持ちは実感として共有出来ないだろうし、そもそもその時代御存命かも不明だし。  若者の側からしても自分達の時代の日本の形を若者主導で決められないって悔しいですよね。




 私は小選挙区+比例代表併用制の今の選挙制度には納得いきませんが、百歩譲ってこの制度内で選挙の在り方を考えた時、「比例代表当選枠」は是非とも新人・若手議員さんの為に活かして頂きたいと思います。 今はそうじゃない場合が多々目についてしまいます。




 知名度・経験値の無い新人・若手の議員候補の方達はまず議員活動をやってみなければ自分の理想や信念と現実問題のギャップを感じとれないし、そこでの苦労が議員さんを大きく成長させていくと思います(そうでない人も勿論いると思いますが)。 その為には大いに利用価値のある制度だと思います。




 勿論”年の功”も大切だと思いますが。 小選挙区を勝ち抜いた力のある議員さんも沢山居られましたし、選挙戦を戦った皆様に敬意を感じます。




 大将・将軍の様な方達(選挙”戦”ですから)は、若い後進の可能性の為に親方らしい、いや、親が子に接する様な希望や可能性を感じる決断をして頂きたいと思います。 未熟な議員さん達の助言・サポートは別に議員でなくても色々な形で出来るでしょうから。




 少し先の事も中々見えてこないこの混迷極まりない時代、若い人達が責任感と覚悟をもって柔軟な感覚でこの国のこれからを舵取り出来る世の中に、民族自決ならぬ、若者自決の政治へと早く変化していく事を願っています。 時間の余裕はもう無いと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらなくっちゃ!

2021年10月20日 | 思い
  弊社のコーポレートサイトがリニューアルするのに合わせて、ブログの方も新たなスタートを切る事となりました。 ここへ初めて来られた皆様には「はじめまして!」ですね。


  

  昨年来猛威を振るい、多くの人々の日常生活や経済活動を滅茶苦茶にしてきた忌まわしき新型コロナウィルス感染症。 私達もモロそのあおりを受け、悶々とした日々を過ごしてきました... 





  それもここへ来て感染者の激減、ワクチン接種の浸透、そして治療体制・薬の進展と、ようやく明るい光が見えてきたように思います。 この希望と安心感という雰囲気が回復の大きな鍵となると思うので、世の中に広く浸透していって欲しいと願っています。





  以前聞いた話ですが、21世紀は2001年から突然変わるのではなく、世紀が変わっても暫くは20世紀の延長の様に過ぎていくと、しかしあるタイミングから一気に世の中が変貌していくので、その変化に対応出来る柔らかさを持っておかないといけない、という様な内容でした。




  そのタイミングってまさにこのウィズコロナの今なのかなって。 だから世の中が回復していくにしてもコロナ以前の様な形に戻っていく事は絶対に無いんだなって。 どんな形になっていくのかまだ全く見えてこないから、何かドキドキするなって... 良い事、悪い事、色んな事を想像しては心揺さぶられる毎日でした。




  ただ想像していても駄目なので、やっぱり行動して仕掛けなければ反応・答えは得られないんだと思って、自分の考えた事を形にしようと昨年末から日々変化に取り組んでいます。 サイトリニューアルもその一環です。 浴衣染色オンリーの考え方からも脱却していきます。 黒子に徹する立場から、お客様からよく見える会社に変わっていこうとも思います。




  今まで仕事内容や立場に配慮し過ぎて、やらない事で後悔した事が度々あったので、やって駄目なら本望だって気持ちでこの”タイミング”を大切にしていきたいと思います。 新しく織りあげられていく「えんおりの縁」を楽しみにしたいと思います。

        
         自分がまず変わらなくっちゃ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする