批判殺到の末、松ちゃんのワイドナショーへの出演が無くなった。報道によるとフジテレビ上層部と吉本興行による総合的な判断だと。せめて休業前の、もしかしたら最後になるかもしれないボケを見なければと思って、ケーブルテレビで家にフジテレビが映る同僚に録画を御願いしていた(青森市はフジテレビが放送されない)のに、その機会が潰されてしまった。
当事者以外真実はわからないのに、みんな週刊誌の言うことを鵜呑みにして黒だと決めつけ「きっとやっているに違いない」として叩いている。前回も書いたが一方の主張と対立して「事実無根だ」と言っているスタンスの人に対してまずコレがおかしいと思う。そしてこういう意見が、少数のように見えるのはかなり異常なことと感じる。
結果、叩いて叩いて、本当にあったかどうかが裁判で確定する前に、まんまと大物芸能人1人の社会的抹殺に成功できてしまった感がある。これがいわゆるキャンセルカルチャーっていうやつなのか。週刊誌に正義を握られている世界なんて恐ろしい。疑われるだけで酷い目に遭うなんて、魔女裁判じゃないのか。
しかも、裁判でも松ちゃんはかなり形勢不利になるという見方がある。橋本徹の言葉によると、週刊誌に「うちが書いたのはあくまで、『性加害があった』ではなく『性加害があったと証言する人がいる』という主張だ」と言われれば、それを覆すのはムリだから厳しいとのこと。これだと、加害があったとは言い切れないなという判決になったとしてもやはり社会的ダメージは回復できない。
これは、本当にもう二度と報道後の松ちゃんの姿を見ることができなくなるかもしれない。いちお笑いファン、ダウンタウンファンとして、大好きだった番組がこれから徐々にパワーダウン(もしくは終了)していくのは辛い。裁判で勝とうが負けようがどうでもよくて、自分にとってはもう、ダウンタウンが見れないことにがっかりする。
キングコング西野さんが過去ブログで書いていた。「松本人志の天才性」として、「芸人がみんなソフト(例えばドラクエ、ファイナルファンタジー)を作っているのに対し、松本さんはハード(ファミリーコンピュータ)を作ってしまった。みんなそのハードに合うソフトをせっせと作っている。そんな中で本人がスーパーマリオも作るから、一人で任天堂みたいなことをしている」と、そういう感じのことを書いていた。
バラエティ番組プロデューサーの佐久間さんも「立ち上げた企画の耐用年数が凄い長い」と言っている。「笑ってはいけない」「ドキュメンタル」「すべらない話」「フリップによる大喜利」「七変化」「寝起きハイテンション」などの企画を発明したほか、「空気を読む、サムい、イタい、S・M、ネタの引き出し、ブルーになる」などの言葉を発明、または広めたこと。
ヤフコメで「松本がいなくなっても、いくらでも替えが利くから影響ない」とか言う意見を見かけたが…。これほどの人に誰がどう替えが利くって言うのか。思い入れが強すぎてただただ、残念でならない。
~完~
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