フランクリン・D・ルーズベルト大統領ほど劣悪で莫迦な大統領はいなかった

日本が悪かった とか まだ思っている人に 読ませたい

でも 彼らは読まないでしょう 死ななきゃ治らない病にかかっていますから

宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<まるで本物のハトではないか。中国の「ドローン鳩」はスパイ・偵察用

書評
 「ベルリンの壁」を造語したチャーチルは、それで敗北を認めた
  FDRは二人の共産主義スパイに操られ、米国外交を完全に誤った

渡辺惣樹『第二次世界大戦 アメリカの敗北 』(文春新書)

 FDRをまだ褒めそやすアメリカ人歴史家が多い。しかしフランクリン・D・ルーズベルト大統領ほど劣悪で莫迦な大統領はいなかった。
FDRは神聖ローマ帝国の版図をごっそりとスターリンに贈呈し、さらにシナを共産主義者に売り渡した。
ところが戦後のアメリカでは、FDRはJFKを超える偉大な大統領だったとし、真実をいう歴史家やジャーナリストに「歴史修正主義」というレッテルを貼る。マッカーサーやニクソンらが展開した共産主義のスパイ摘発も、左翼ジャーナリズムが「赤狩り」などと批判している裡に有耶無耶になり、ハリウッドは依然として赤の巣窟である。
 だが、そのねじ曲げられた嘘も、いよいよ歴史学的に通用しなくなった。
長らく覆い隠されてきた歴史の真実が、遅きに失したとはいえ、つぎつぎとあらわれてきた。
 真珠湾が日本のだまし討ちではなく、FDRが暗号を解読しながらハワイの司令官には知らせず、意図的に日本の奇襲を誘い出して、一気にアメリカの世論を対日参戦にもっていった陰謀であったことも、いまでは広く知られる。
 これまで薄々は気づいていたが、証拠がなくてFDR批判に精彩を欠いたのも、アメリカが機密情報を公開しなかったことが大きい。
 フーバー元大統領はFDRに騙されていたことに気がついて、長い年月を掛けて『裏切られた自由』(邦訳はやはり渡辺惣樹氏、草思社)を世に問うた。
 そしてもう一つ。
 FDR政権に潜り込んだ共産主義のスパイが、巧妙に上役に取り入って政権を操り、外交を操り、いずれもがスターリンに繋がっていたことだった。そして「ヴェノナ文書」の開封によって、すべての謎が白日の下に晒された
 「歴史修正主義」が正しかったのである。
 米国を誤った道に陥らせた世紀のスパイはFDR政権で高官になりあがったホワイトとヒスである。
 
 本書は渡辺氏が、出そろった証拠を適宜駆使しつつ、この二人の大物スパイの行状に焦点を充てながら近現代史の再叙述を試みる意欲作である。
 まずはホワイトである。
 「かれはモーゲンソーの右腕としてたちまち頭角を現した」。
というのも、FDRは無学で歴史に無知であり、そのうえ「勉強嫌いで、専門のはずの歴史学でも戦史本を読む程度であり、経済学には全くの無知だった。FDRは『馬の合う』お友達モーゲンソーを財務長官に登用した。モーゲンソーも出来の悪い学生であり、経済学の素人だった。それがホワイトの出世に有利に働いた」のである(37p)。

 フーバー元大統領は戦後のドイツを視察して食料援助をきめた功労者、ヒューマニストだが、トルーマンはフーバーの報告に基づいてドイツ緊急援助を決め、怪しげなモーゲンソー計画を取りやめて、『マーシャルプラン』に移行した。
 「トルーマンは、ただただドイツを憎む二人の男(モーゲンソー、ホワイト)の復讐心がつくった」戦後復興計画の愚かさを認め、とくにモ−ゲンソーを「煉瓦頭の能なし、くそもミソも分からないきちがい野郎」(57p)と罵っていた。
 なぜこれほど彼らはドイツを憎んだか。
ふたりともユダヤ人であり、復讐心に燃えていたからだ。「敵の敵は味方」とばかりにスターリンに機密を売り渡していた。まわりにもスパイはごろごろといた。
 けっきょく、病気がちのルーズベルトの信任があつかったので、国務省の頭越しに、外交は、モーゲンソー財務長官が仕切る場面が多く、「対日最後通牒であるハル・ノートの原案はハリー・ホワイトが書き、ドイツ農業国化政策(モーゲンソー・プラン)は、モーゲンソーとホワイトが立案した」(192p)。
 ヤルタ会談の勝利者はスターリンだが、「FDRが人生最後の場面で、その夢(国連をつくり代表となること)の実現のためには何もかも犠牲にしても構わないと覚悟していることを、二人のスパイ(ホワイト、ヒス)を通じてわかっていた」(147p)。
 

 ▲ホワイト、ヒス、そしてモーゲンソー

 もう一人のスパイ、アルジャー・ヒスは苦学してハーバード大学に学んだが、同大学教授でFDR政権に影響力を発揮したユダヤ人のフェリックス・フランクファーターの薫陶を受けた。
 「多くの門下生を」フランクファーター教授はFDR政権中枢に送り込む役割を果たした。なかにはディーン・アチソンらがいた。
 すでにヒスがスパイであることはFDRに伝えられたが、それを伝えたバールにFDRは、『その辺の湖に飛びこんで頭を冷やせ』と叱責した。

 チャーチルもまた敗北者となって英国を没落させた。戦後、訪米したチャーチルにトルーマン大統領は大統領専用車に招待し、地元の大学で講演をさせている。
 「バルト海のシュテェチン(現ポーランド)からアドリア海のトリエステ(現イタリア)まで、ヨーロッパ大陸を横切る『鉄のカーデン』が降ろされた。(中略)西側民主主義国家、とりわけイギリスとアメリカは、際限なく力と思想の拡散を続けるソビエトの動きを抑制しなくてはならない」
とチャーチルは吠えたが、時すでに遅かった。
 「英国はナチスドイツとの戦いで国富の四分の一を失った。英国の対外負債は140億ドルにも上り、ケインズは、『英国の外貨資産は底をついた。五年以内に国家破産する』と警告していた(1945年4月)。その結果がブレトンウッヅ体制であり、世界を支配する通貨はポンドからドルに完全に取って代わられた。チャーチルの『敵の的は味方』とする単純な思考がもたらした英国の没落であった」。(321p)。

 そして、本書にはもう一つの深読みがある。
アメリカは英国の没落を究極的に意図して対のではないのか、という中西輝政氏が提議しているFDRのかくされた意図、つまり世界通貨の覇権をにぎるためには英国を対独戦に挑ませ、その国力を破壊することではなかったのか、という深読みの発想も下敷きになっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 大金持ちは幸せか なぜ日本はア... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。