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「憲法九条」の背景、 日本軍のとてつもない強さと、日本軍に完敗して戦場から逃げた軍司令官マッカーサーの屈辱
西村眞悟
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「憲法九条」の背景を見つめる。そこに見えてくるのは、日本軍のとてつもない強さと、日本軍に完敗して戦場から逃げた軍司令官マッカーサーの屈辱である。
五十歳の若さでアメリカ陸軍の参謀総長に就任するという輝かしい経歴を持つダグラス・マッカーサーは、六十一歳になった日米開戦時には、フィリピンのアメリカ極東陸軍の司令官をしていた。
そして、十二月八日未明、日本海軍の真珠湾奇襲の報に接したマッカーサーは、人種的偏見から有色の劣等な日本人は飛行機の操縦ができないのでドイツ人が飛行機を操縦していると思い込んでいた。
しかし、その時、台湾から発進した帝国海軍のゼロ戦、一式陸攻そして九七式陸攻合計一〇六機がフィリピンのアメリカ軍のクラークフィールド基地に襲いかかり、ヨーロッパ戦線で撃墜されたことの無かったB17など一〇八機のアメリカ軍機が破壊され撃墜されてアメリカ軍の航空戦力は一挙に半減し、十二月十三日には航空戦力が壊滅する。
マッカーサーは、このクラークフィールドでの、一〇六機の日本軍機の攻撃を、七五一機の攻撃であると本国に虚偽報告をしている。負けたことの言い訳を嘘ででっちあげたのだ。
さらに、十二月十日からルソン島北部と南部から上陸してきた日本軍はとてつもなく強く、アメリカ軍は蹴散らされて退却を繰り返し、十二月二十二日に、マニラ西部のリンガエン湾に上陸した本間雅晴中将に率いられた第十四軍がマニラに向けて進軍を開始するにおよび、マッカーサーは、早々にマニラを放棄してバターン半島とコレヒドールに逃げて立て籠もる。
翌年一月十日、本間雅晴第十四軍司令官は、バターン半島に立て籠もったマッカーサーに降伏勧告を伝達する。マッカーサーは、降伏勧告を無視するが、軍司令官が日本軍に生け捕りにされる状況になってきたので、先に前線から逃亡するフィリピンのケソンに、秘密軍事顧問料の支払いを要求し、ケソンはニューヨークの口座からマッカーサーに五十万ドルの軍事顧問料を支払って逃亡する。続いて、マッカーサーも逃亡した。
以上、マッカーサーの、ワシントンにおける、輝かしい軍事官僚としての経歴と、フィリピンの戦場における、有色人種と軽蔑していた日本軍にコテンパンに負けて生け捕りにされかかって逃亡した屈辱と虚言癖を述べた。
彼に虚偽報告をさせ敵前逃亡をさせた日本の陸海軍は、マッカーサーにとって、とてつもなく強かったのである。そして、「日本国憲法」は、この日本軍に負けた屈折した男の指揮の下に書かれている。さらに、負け戦における日本軍の恐ろしさを身にしみて知ったのもアメリカ軍である。
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