伊勢白山道さん、平将門の首塚の移転にコメントする

陳胡痒さん

伊勢白山道さん、平将門の首塚の移転にコメントする

怨念や怒りを持つ人が増えると、自分が住む国を失くす注意

2020-11-26 12:10:00 | Weblog

東京都千代田区大手町に在ります、平将門(たいらのまさかど)の首を祀る塚である将門塚(まさかどづか)が、工事のために現在移転中であることが話題に成っています。
第二次大戦後にも、米軍が周囲を更地にする工事をしようとしたが、大きな事故が発生して動かすことが出来なかった将門塚です。

日本三大怨霊と言われますのは、崇徳天皇、菅原道真、平将門という存在です。
どの御方も、スサノオ神の分神を宿した御方ばかりです。
まさに神話では、スサノオ神は、姉神の天照太御神の「側近たち」に、イジメ抜かれました
この御三方も、朝廷からイジメ抜かれて、怨霊神に成られた御方ばかりです。
神話が転写したと言えます。

つまり、スサノオ神の神気が御三方に宿って、死後も大きな呪縛を発動したと言えます。
3人の内でも、天皇の地位への思いが強かった人ほど、怨念が強いことが興味深いです。
だから、菅原道真公は、今は怨霊ではありません。天皇の地位への野心など初めから無くて、ただ朝廷内でイジメ抜かれたための怨念でした。
崇徳天皇は、不本意ながら譲位させられた元天皇であり、また違う意味での怒りです。

問題は、平将門です。
平安時代中期の関東の豪族でした。しかも、本家の三男の子供でした。昔の三男の子供となれば、名前は本家と同じでも、苦渋の生活をされたと思います。
だから、「今に見ておれ」という思いが、非常に強かったと感じます。

その結果、関東に広がった平氏一族の抗争が発生しますと、平将門は暴れに暴れて直ぐに頭角を現し、その勢いはやがては、関東の国府を襲撃して占領し、京都の天皇に対抗して「新皇」を自称しています。我こそは新天皇だと宣言したわけです。

その天にも昇る絶頂期に、「我こそは天皇」「我こそは天皇」と唱えながら、首を跳ねられた様子を夢想します。
跳ねられた首は、そのまま生きて飛び去ったという伝承です。
それぐらいの勢い、初めて味わった天下を取った高揚感の中で死んで逝かれています。

その飛び去った首は、関東内で見つかり、京都に送られて大通りに晒(さら)し首とされました。
でも、いつの間にか再び、関東へ向けて飛び去ったというのです。驚く。

そして、平将門の首が関東へ向けて飛び去ったという京都での異変を聞いた、岐阜県大垣市の神社の神官が、平将門の首が関東に戻ることにより再び内乱が起こることを恐れて祈願したところ、なんと現在の大垣市矢道町あたりで、平将門の頭部に矢が貫通した状態で落ちていたというのです。 ドンダケ~~
そこが、岐阜県大垣市荒尾町にある御首神社(みくびじんじゃ)です。

あと重要な場所は、茨城県坂東市岩井にある国王神社(こくおうじんじゃ)です。
ここは、平将門の拠点であり、産土神であり、胴体部分が鎮まった地とされています。

おそらく今回の移転では、神田明神の神職が中心となって、動かすことが出来たと思います。
ただ、移転の工事中は、日本列島を自由に飛んだ平将門ですから、地震に注意を感じます。

平将門に縁が在る、
・ 岐阜県と茨城県。
・ そして、関東全域。
・ 工事が終わる来年の5月まで。
地震を警戒します

総括として、いまだに祟る平将門のパワーとは何か?
現代に生きる人々の、無念、イジメられた怨念、出世への不満、などを吸い集める存在に成っていると感じます。

しかも、皇居の側という因縁です。
日本の足を引っ張ることに嬉々とする人間が絶えないことも、今に始まったことでは無いのです。
今こそが、外国を巻き込んで、日本の国を失くすか否かの大峠の時に思います。
これを注目することで、なんとか無難にして行きたいものです。
何事も起こらずに、平和が継続することを希望しています。

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