中曽根康弘元首相の 目先の安易な対応が、後々で巨大な負の遺産になった

死者に鞭打っても ちゃんと批判しろと 正論

産経

【新聞に喝!】教科書事件も見逃すな 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

 11月29日、中曽根康弘元首相が101歳という高齢で亡くなった。翌30日の新聞各紙には中曽根氏の実績が改めて報じられたが、その評価は総じて高いようである。しかし、批判的に論ずべき点も多々あるのではないだろうか。

 私が特に注目するのは、歴史問題に関する同首相の政治判断だ。中曽根政権下での歴史問題といえば、靖国問題だが、「戦後政治の総決算」を標榜した首相は、靖国神社の公式参拝に意欲を見せ、1985年の終戦記念日に決行した。しかし、中国からの猛反発を受け、翌年から断念する。この政治判断について、産経以外の各紙は「現実的な対応」と評価し、良い意味での「君子豹変(ひょうへん)」だと解釈していた。

 中止した判断の根拠は、中国の胡耀邦総書記を擁護することだったが、結局胡氏は失脚、全く無意味であった。しかも中韓から外交カードとして使われるようになり、首相の靖国参拝は、小泉純一郎首相時代に一時復活したものの、現在は事実上不可能になっている。外国首脳の人事のために「豹変」したこと自体、重大な失政と言わざるを得ない。

 中曽根首相が関与した歴史問題はもう一つある。それは86年の第二次教科書事件と、それに連なる藤尾正行文部大臣の罷免問題だ。82年の第一次教科書事件に危惧した保守系の人々が『新編日本史』という教科書をつくり、検定も合格したが、国内で偏向教科書だとの騒ぎが起こり、中韓両国も抗議を行った。この時、中曽根首相は権力をふるって検定をやり直させ、さらにそれに不服だった藤尾文相を、月刊誌で韓国統治を擁護した発言をしたとして罷免している。最初の外遊先に韓国を選び、韓国語でスピーチした首相らしい親韓路線だったのか。慰安婦問題以前の時期だが、現在まで続く日韓歴史紛争の一環となっている。しかし、この問題に言及した新聞はなかったようだ。

 靖国問題も含めて、目先の安易な対応が、後々で巨大な負の遺産になることを、中曽根首相の死去を機に、改めて解明すべきであるのに、新聞にはその意志がまるで見られない。これだけ重大な問題である第二次教科書事件を、全く無視するのはなぜだろうか。それは首相の権力発動によって検定が覆され、家永教科書訴訟の論理が完全に破綻してしまったことを意味しているからだろう。何しろ家永氏の主張は、国家権力は教科書の内容に決して介入してはいけない、というものだったのだから。

【プロフィル】酒井信彦

 さかい・のぶひこ 昭和18年、川崎市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂(へんさん)所で『大日本史料』の編纂に従事。


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