ガツンと一発 - メルマ! 消えた訳

ガツンと一発 - メルマ! の 平井さん

ホームページが 突然 消えて どうしたと 心配してましたら

こういうことで びっくり 

でも まあ 面白いところ?で 元気に?やっているとのこと

これからの 記事が楽しみです

 

「措置入院」精神病棟の日々(

“シーチン”修一 2.0

わけあって新しいペンネームで書く。シーチンは習近平とプーチンを合わせた「お騒がせの食えぬ奴」というわけではなく、その昔、新宿歌舞伎町のバーですさまじいスリットの入ったチャイナドレスのホステスが小生をそう呼んでいたからだ。2.0というのは新バージョンの意。

2016年(平成28年)7月の相模原障害者施設殺傷事件は、犯人が「措置入院」で隔離され治療を受けていたものの、退院後は行方知れずになり、凄惨な事件を起こし、「措置入院」への世間の関心が高まった。その「措置入院」で自分が保護され、3か月も隔離、治療を受けることになるとはまったく想像もしていなかった。

大虎が 暴れまくって 警察へ 措置入院で 辺境の地へ

「修ちゃんが 故郷へ帰る」錦飾らず 恥の上塗り

リストカットし、さらに刺身庖丁と出刃包丁を持って大暴れ。風邪でしばらく体調が悪く、気力体力を鼓舞するために朝から酒を引っかける日々が3週間ほど続いたら一気に発狂、酒乱で家族、近隣に大変な迷惑をかけてしまった。

パトカー4台、警官10数名に制圧されて“保護”され、病院へ送られたのは枯葉も落ちた晩秋、そして年を越し、白梅香る初春に退院した。どう諸兄姉にこの“過ち”“蛮勇”“誤作動”を伝えたらいいのか、あれこれ考えたが、考えながら書く、書きながら考えるしかないだろうと、恥を忍んで「頂門の一針」に投稿することにした。小生のメルマガとブログは家族から禁止されている。

以前から「二十歳(はたち)でバカなら老いてもバカ」だと思っていたが、図らずも「まことにこれは真実だ」と思い知った。20歳の冬は刑務所の北側独房で3か月間拘禁され、65歳の冬も3か月間、精神病棟で拘禁され、27歳の時はコレラで市立病院に3週間隔離された。人のしないことばかりで、こうなると「そういう星のもとに生まれたのだ」と納得するしかない。

ただ、根が卑しいのだろう、転んでもただでは起きないというスネ夫的な狡猾さはある。WIKIによるとスネ夫は小生と同じ2月生まれ。「身長が低いのをコンプレックスにしている。性格は自己顕示欲旺盛なナルシスト」とある。似ている。

刑務所では読書と文筆を覚え、コレラの時はナースのカミサンをGETした。今回の措置入院では多くのことを学んだ。何を学んだのか、これから紹介していきたい。元ネタは日記や報道、公文書による。

諸兄姉の参考になればいいが、そうでなければその旨ご指摘いただきたい。一応「病棟編」「政治経済社会編(主に産経新聞を読んでの感想)」「読書編」というカテゴリーで綴っていく。

<はじめに>

多くの人は学業を終えて社会人、つまり自分で自分と家族を養える自立人、独立人になる。もちろん社会の中でしか生きられないのだが、より正確に言えば、職場とか職域とか、業界の中で生きることになる。

そうなると交際範囲はとても狭くなる。小生は主に海外旅行業界における記者・編集者だから、それ以外のまったく畑違いの人との密な交際はほとんどなかった。交際しようにも、オタク的な趣味があるわけではないから共通の話題がないのだ。

医者は医療業界の人と、料理人は飲食業界の人と、建設に携わる職人はその業界の人と交わる。類は友を呼ぶ、で、似た者同士が集まり交際するから、世間というか社会全体を見る機会はあまりない。医者と大工が親しく交際するといったことはまずない。これが現実だろう。

普通の病院は外科、内科、小児科などに病棟が分かれており、患者が一堂に会する場はまずない。せいぜいが見舞客用の椅子とテーブルがちょっとあるくらいだ。

しかし精神病棟には大きなホールがあり、患者は三食そこで食事をし、おしゃべりし、運動や娯楽をし、話し合いをしたりする。つまりそこは世間の縮図であり、職業も千差万別、金持もいれば貧乏人もいる。年齢も10代から80代までいろいろだ。

小生が多くの時間を過ごした3階の急性期病棟は30人ほどの患者がおり、完全に壊れた人から、一体どこが悪いのかとまったく分からない人もいる。
ホワイトカラー、ブルーカラー、インテリ、ヤンキー、主婦、独身、所帯持ち、フルタイム、パート、学生、無職、納税者、生活保護受給者、ハンサム、不細工、瘠せ過ぎ、太り過ぎ・・・まったく社会、世間の縮図であり、今の日本、日本人、さらに自分自身を観察するにはまたとない機会だった。

以下、人物や施設、日付などが特定されないように改めたが、基本的に小生の実況見聞である。(つづく)2017/2/1

退院後の翌日、久し振りに街の用水路沿いを散歩をしていたらこんな標語があった。

「責めるより 許す心と 思いやり」

法務省が提唱し、地域の防犯協会が協賛している「社会を明るくする運動」のスローガンで、うん、その通りだ、と思ったが、よく考えたら基本的に非行少年の再生を願う主旨で、非行老人、不逞老人向けではなさそうだ。

こんな言葉を家族に向かって言おうものなら、「冗談じゃない、加害者がなにバカを言っているの? 信じられない、全然反省していないんじゃない?!」とものすごい剣幕で反発されるだろう。当然と言えば当然だ。被害者である家族の心の傷の大きさを常に心していないと信用は取り戻せない。

築城8年、落城3日」という言葉がある。信用を築くには長い年月がかかるが、信用を失うのは一瞬だ。年長らえば恥多し、とは言うものの、こんな愚かな晩年になるなんてまったく自分自身は想像もしていなかったが、家族は「いつかおかしくなるのではないか」と案じていた。「病院へ行ったら」と勧められたが、かたくなに拒否していた結果が今の自分である。

脳(brain)と心(mind, heart)はどう違うのか、入院中にずっと考えていたが、脳は人工知能(AI)で言えば基本システム(OS)で、心はその中の一部の機能とか制御盤のようだ。心で随意筋は動くが、不随意筋は別のソフトであり、心では動かない。

鉄腕アトムのOSには「人を傷つけたり殺してはいけないが、人間のためという大義のためには命を懸けよ」というソフトが組み込まれていたと記憶しているが、人間の脳には心(精神)と体(肉体)を守るために緊急避難で「強制シャットダウン」ソフトが組み込まれているようである。

簡単に言えば、本人が強烈な体験という「過電流」で身体を壊さないように失神とか記憶喪失で心を閉ざすようになっているようなのだ。ケガとかショックとかの際に失神とかを起こすのはそのひとつだろう。

よく報道されるのが、犯人や加害者が「やったことは間違いない」という言葉で、その前後を覚えていないようなのである。これまでは「本当かよ、しらばっくれているのじゃないか」と小生は思っていたが、自分が加害者になって初めて分かったのは、暴れまくった数秒間(多分5秒とか10秒)は覚えているが、前後の記憶が完全に欠落していることだ。今でも思い出せないが、家族によると目が完全に狂気だったという。

後で聞いたところでは、小生は家で転倒して気絶したようで、家族が「自分で立てれる?」と聞いたところ「ら抜き言葉はよしてくれ」と言ったそうだ。気が付いたら警察署の保護室に軟禁され、施錠の代わりに屈強な警官2人に監視されており、「これは留置なのか、それとも保護なのか?」と問い質していた。「保護です」との答えだった。

大暴れしたことをほとんど覚えていないのだが、本人にとって「不都合な真実」を記憶に残さないようにOSには本人がまったく自覚できない記憶喪失ソフトが設定されているとしか思えない。

良家の子女は乳母日傘で大事に育てられたためなのか「打たれやすい」、つまりストレスで壊れやすいようだ。実際に「良い子」が精神病(アスペルガー症候群)になったのを見たことがあるし、小生の病院でも17歳の美しく温和な娘さん、小生がつけたあだ名“セブンティーン”が入院してきた。

見舞いに来た両親は、父親は60歳ほどの大企業の役員風、母親は40歳ほどでオシャレ、びっくりするほどの若作りをしていたが、“セブンティーン”は入院当初は「ここはどこ? 私は誰?」という感じで茫然自失していたようだ。

やがて娘さんは徐々に目覚めてきたようで、ホールでの両親との会話が聞こえてきたが、「その(事件)後のことは全然覚えていない」と言っていた。アル中の場合はこれをブラックアウト(停電)と呼んでいる。

ところで精神病や精神疾患は、近年では「心の病」とか「心の風邪」などと言うようだが、複数の精神科医が執筆・監修した精神疾患ムックによると、脳内には幸福や不安を感じやすくする遺伝子(ソフト)があり、これが「ストレスの感じ方」を左右するそうだ。

日本人を含めたアジア系民族は環境によるストレスを受けやすく、逆に欧米人は不安を感じにくく、楽観的な傾向があるという。米国白人はもともとが欧州由来だから、簡単に言えば、アジア系は繊細で悲観的、保守的、欧州系は鈍感で楽観的、進取的なのかもしれない。

小生思うに、アジア系=農耕・定住・集団行動民族、欧州系=狩猟・移動・個人行動民族というククリも考えられ、アジア系は天気にも一喜一憂し、欧州系は獲物に出会うかどうかは運次第だからクヨクヨしてもしょうがない、明日はいいことがあるだろう、と楽観的、進取的になる、とも言える。

欧州系はライオンなど肉食動物のように「食いだめ」ができるようだから(中世の記録に女性2人が3日で牛1頭を平らげたという話がある)、冷夏による飢饉など飢え死にの危機感があまりないのかもしれない。

厚生労働省の平成26年調査によると、精神疾患の患者数はここ20年でずいぶん増えている。統合失調症など「妄想性障害」と、うつ病など「気分・感情障害」は、それぞれ平成8年が72万1000人、43万3000人、合わせて115万4000人、これが平成26年には77万3000人、111万6000人、合わせて188万9000人へと急増している。

小生が若いころは同僚などから「気分が落ち込んでいる、ブルーだ、やる気が起きない」などと言われたら、「まあ、そういうことはよくあるよ、テンションが上がったり下がったり・・・じゃあ今夜は女子も呼んでパーッと飲もうぜ」、本人も周囲もあまり気にしなかった。

当時は「過労死」という言葉もなく、「血尿が出て一人前」なんていう凄まじい職場もあった。自殺しようものなら「ヤワすぎ、ストレスに負けちゃった」とあまり同情もされなかった。今は残業≒悪≒ブラック企業のようで、若い女性が自殺でもしようものなら大騒ぎになり、医者が病名を創るから患者もどんどん増えるわけだ。

たとえばWIKIによると対人恐怖症は神経症の一種とされ、「恥の文化を持つ日本において群を抜いて多く、日本に顕著な文化依存症候群とされ、海外においてもそのまま『Taijin kyofusho』と呼称されている」、病名を創って患者を増やすという、ほとんどビョーキの世界だ。

かくして小生のような本物の狂人、病人の周りには、昔なら「ノイローゼ、ちょっと休めば直るよ」的な人が数多くいるという奇妙な現象になる。どう見ても病気だなというのは患者5人に1人ほどという印象で、国民皆保険や障害年金というセイフティネットも患者増を促進しているのではないかと思ってしまう。(つづく)2017/2/2
 
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