マン島TTは100年で200人以上が死んでいるが、人命より自由が大事だから続けている(コロナでは中止された)


オリンピック反対が利権になっている

皆さんの町でも共産党や野党がオリンピック中止を訴える街宣活動をしていたと思います。

この手の反対キャンペーンは常に左翼の活動舞台になっていて、人々の支持を増やそうとしている。

少し前まで原発反対と言えば受ける状況があり、左翼は全員原発に反対していました。

 

その後自然エネルギーの多くに実用性が無い事やメガソーラーによる自然破壊、原発以外に発電方法がない事が知られるようになった。

その前は辺野古反対、その前はダム反対だがダム反対が九州などで大被害を出したのは周知の事実です。

冷酷に言えば九州の人は自分で自分の首を締めたが、ひと昔前にダムをたくさん作った奈良や長野や新潟では大被害はなかった。

奈良県のダムの恩恵を受けるのは和歌山や大坂で、長野のダムの恩恵を受けるのは周辺の県の人です。

被害が無かった地域では当たり前だが何もニュースにならず、左翼は「ダムのお蔭で何も起きなかった」とは決して言わない。

さらに前には新幹線や高速道路反対運動があり、そのせいで日本の高速道路は世界一遅れた高速交通システムになった。

今度はオリンピック反対で、オリンピックに反対すると人権を尊重していることになるそうです。

だがここにも落とし穴があり、もし「人命」を理由にオリンピックを中止したら、今後日本は衰退するでしょう。


フェラーリにひかれると嬉しいイタリア人

話はオリンピックの意義ではなく人命と自由のどちらが大事かという自由主義の根幹にかかわるからです。

昔イタリアのレースでフェラーリが事故を起こし、観客が助かったかは覚えていないが驚いたのはその結末でした。
フェラーリの責任者はマスコミに「観客はフェラーリにひかれて光栄だったはずだ」と言い、マスコミとイタリアの世論も納得していました。

確かベンツは大きな事故を起こしてレース活動から撤退した事があり、トヨタなら子犬をひいても撤退したでしょう。

「人命とレースとどっちが大事か」という問いで、日本人は間違いなく人命と答えます。

イタリア人は人命よりレースが大事で、フランスも何度事故が起きてもルマンを中止しようとしません。


それは人命よりルマンが大事だからで、はっきり言えば命が惜しいような人はルマンやミラノのサーキットに行くべきではない。

アメリカ人なら人命より自由や権利が大事なのは当たり前で、それはコロナ下でも自由の方が大事だと考える人が多いのでもわかる。

日本で生きていて一番いやだと思うのが「花見自粛」のような事で、コロナや地震と花見には関係が無いのに、平気で他人の自由を奪う人が多い

花が嫌いなら見なければ良いので、他人の自由を奪ってまで自粛を強要する事ではない。

日本政府の「自粛を強要」する気持ち悪い政策も最悪で、この国では人命を理由にすれば人間を監禁することもできる

人命尊重の為にオリンピックを中止するなら、人命を理由にして次々に何かを禁止し始めるでしょう。
 
例え1万人が死ぬとしてもオリンピックを開催するべきで、そうでないならもう日本は自由主義国を名乗らない方が良い