加瀬英明のコラム
2019/03/04
「専守防衛」ほど無意味なものはない
日本は世界のなかで、自国の憲法が安全保障の最大の脅威となっている、唯一つの国だ。
憲法はその国の精神を、表わしている。
前文が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」と述べて、日本だけに先の大戦の全責任を、一方的に負わせて、日本が悪い国だときめつけている。
この憲法のもとで、日本は自虐的な態度をとってきたために、国外から軽くみられ、虐げられる原因をつくってきた。
前文はさらに、一国の安全を世界の「諸国の公正と信頼して、われらの安全と生存を保持」すると、宣言している。
日本国憲法が世界の現実を歪めてきたために、国民が危険な幻想に浸ってきた。
日本は人にたとえれば、幻視、幻聴を病んできたために、人格が崩壊して、正常な社会的関係を結ぶことができない統合失調症を患っている。
このところ、韓国が日本を好き放題に嬲(なぶ)っているために、日本で嫌韓感情が沸騰している。
書店に嫌韓本が並び、雑誌も韓国に呆れ果てて、韓国を憐れむ記事で埋まっている。
慰安婦(ウイアンプ)など両国間の合意を踏み躙ったうえで、徴用工(ジンヨンゴン)、火器管制レーダーの照射問題など、常軌を逸した振舞いがとまらない。
韓国は現実を無視して妄想にとらわれているから、とうてい国家と呼べない。日本中が韓国を疫病のように、みるようになっている。
韓国は国として体をなしていない。政府もどう対応したらよいか、途方に暮れている。
だが、いったい日本に韓国を見下したり、嘲る資格があるものだろうか。
昨年、政府が3万トン級の“いずも型”ヘリコプター搭載護衛艦を空母に改装して、F35Bステルス戦闘機を搭載すると発表すると、岩屋防衛相が「状況に応じて戦闘機を載せるから、他国への脅威とはならない」と述べ、自公与党が「専守防衛の枠内で運用する」という確認書を交換した。
だが、危機が迫ってから、艦載機を載せるのでは、訓練や運用に支障はないのだろうか。
テレビのワイドショーで、識者が真顔をして「攻撃空母を保有するのは、憲法違反だ」と述べていたが、番組の他の出演者は誰も非常識な発言だと、思わなかった。多くの視聴者も同じことだったろう。
中国の国防支出は中国政府の発表によっても、1988年以後、毎年2桁で増して、日本の10倍以上もあり、アメリカにつぐ軍事大国となっている。
私には“いずも級”護衛艦を、F35B戦闘機を8機か、10機搭載する小型空母に改装しても、どうして中国に脅威を与えることになるのか、理解できない。
「専守防衛」という言葉は、日本国憲法と同じように、日本の国内にだけ通用して、外国語に訳することが、まったくできない。「専守」という概念自体が、世界のどこにも存在していない、無意味な言葉だ。
日本語でも、具体的に何を意味しているのか、分からない。
いったい「専守に徹する」スポーツ競技が、あるものだろうか。読者諸賢のなかで、説明できる方がいられるだろうか。「必要最小限の防衛力」も、意味がない言葉だ。
日本の独立と国民の生命を、わけが分からない言葉に託して、よいはずがない。
人体の健康と同じように、平和は努力して守らねばならない。平和を守る努力をしないのでは、平和を大切にしているといえない。