花粉症と 昭和天皇 河野一郎

やや長いですが 該当部分 ほぼ全文引用

杉花粉症を恨むなら河野一郎
顔が濃いけど意志が薄い衆議院議長の河野洋平氏の父親が河野一郎である。昭和30年に農林大臣になった際に、昭和天皇への内奏で「これからは杉の植林を行います。これは採算が良くて将来は輸入材に変わって日本の住宅建築に使えます」といったところ、昭和天皇は「あっそう」とだけお答えになった。昭和天皇の「あっそう」は10種類あると、故細川隆元が本に書いてある。昭和天皇はご自分の言葉を自制し続けたお方である。その「あっそう」が否定的なニュアンスだったので、河野一郎氏は心配になり側近に訪ねると「非公式会談で陛下は、落葉樹を植えなさい。落ち葉は下に落ち肥料となって雨水はそれを通って谷川に入ってプランクトンを養う。谷川は水田に流れて米を作り、やがて海に入って海草を育てる。沿岸漁業もその基礎は山林にある」と言われていたそうである。河野一郎氏は省に帰って、杉を止めようといったが全く相手にされなかったそうだ。いまそのとき植えた杉が花粉を撒いているのである。今宮城県の志津川では、養殖牡蠣を美味しくするために、植樹をしている。昭和30年当時すでに気づかれていた昭和天皇が懐かしい。

日下公人氏の著書に
昔、農林大臣だった河野一郎氏が、(昭和)天皇陛下のご意見は、杉の植林ではなく落葉樹にあると省に帰り 
部下に見直しをするよう云ったが、相手にされなかったそうである。 
河野一郎氏はこの時、自分の決意として”奮発”しなければならなかったのが悪かった、 
上の意見を取り次ぐだけでは軽く見られた、ということだ。

岩見隆夫氏『陛下の御質問』
河野(一郎農林大臣)が語ったところによると、一回だけの内奏の時に、林野行政の説明をした。天皇は聞いたあと、
「わかった。造林を大変熱心にやっているようだが、日本の造林は針葉樹を中心に進めている。闊葉樹(かつようじゅ:広葉樹のこと)はどうしているのか」
 と質問された。河野はわからない。にらみ返したが全然通じない。仕方なく、
「闊葉樹も適宜、植林しております」
 と答えたが、農林省に帰って聞いてみると、一本も植えていないことがわかった。河野は、
「恥ずかしくて、二度といけるか。ないがしろなんてとんでもない。オレは『この人にはかなわない』という人が地上に二人いる。一人は天皇陛下、もう一人はフルシチョフだ」
 と檜垣(徳太郎、当時農林省課長)にもらしたという。
1954年暮、鳩山内閣の頃である。


同じく岩見隆夫の本 
河野一郎が農林大臣の時に、昭和天皇が農林省を訪れた。大臣の河野は植林事業を天皇に説明した。植物学者の天皇は一言質問をした。

落葉樹は植えないのか?」

 河野にはこの質問の意味が解らなかった。イエスともノウとも解らないまま曖昧な返事を天皇にして「植えている」ということにしてしまった。
 後で調べたら「植えていない」河野は天皇にウソを付いた事になった。本人はそれがトラウマになって、天皇から認証を受ける総理になる気をうせてしまったのだという。
 明治神宮には最初杉を植える予定だったという。しかし、植物学者達から関東の風土に合ったナラなどの木にしたのだという。
 植林事業の時にどうして植物学者達の意見を聞かなかったのだろうか?

事実はひとつの はずなのに これだけ 異なる話が あるのも おもしろい

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