三島由紀夫「切腹自殺」から50年、彼が憂えた日本はどう変わったか

 

三島由紀夫「切腹自殺」から50年、彼が憂えた日本はどう変わったか(川口 マーン 惠美) @gendai_biz

 

誰にも理解されない三島の姿

今年の11月25日で、三島由紀夫没後50年となる。

1970年の日本といえば、経済成長の真っ只中。大阪の万博も成功裏に終わっていた。一方で、よど号ハイジャックなど、後の連合赤軍テロの前兆らしき事件もあったが、人々の生活は概ね政治とは無関係に、愉快に営まれていた。

だから、この三島事件に関しても、多くの人は切腹という自害の方法に衝撃は受けても、そこに込められた三島の精神など、ほとんど理解していなかったと思う。ましてや、当時、中学生だった私は、事件のことはまもなく忘れてしまった。

三島の作品を手に取り、次第に夢中になったのは、それから何年も過ぎてからのこと。そして、作品に託された彼の精神を朧げながらに辿り始めたのは、さらに後のことだ。

2012年、私は本コラム(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/34190)で次のように書いており、今でもその思いは変わっていない。

 

〈『春の雪』は今思い出しても戦慄する。『豊饒の海』第四巻の中の第一巻で、舞台は明治の終わりから大正にかけてだ。禁断を破ることへの抗いがたい誘惑、華族の世界に澱のように漂う優美と倦怠。(略)

第二部の『奔馬』も面白い。第一部で亡くなった弱々しい華族の青年が、輪廻で生まれ変わり、荒々しい青年として若いエネルギーを発散させる。(略)

しかし、第三巻の『暁の寺』になると、精彩が翳り始める。そして、最終巻『天人五衰』を完読した後は、裏切られたような気分になったことを覚えている。「長い物語を、ここまで息を詰めるようにして読み進めてきたのに」と。

『天人五衰』の舞台は70年代。日本がGDPでドイツを抜いて、世界2位に躍り出たのが68年のことだから、日本は好景気の真っただ中。しかし作品では、人間の老いや醜さが強調され、日本は豊かだが、いやな国になっている。立派な地位にいる人間もどこか陳腐で、胸に醜い考えを秘めていた。

今になるとわかる。三島は、戦後日本の発展に意義を申し立てていたのだ。しかし、私には当時、それがわからなかった。三島は、雑誌『新潮』に連載されていたこの作品の最後の原稿を編集者に手渡し、その日の午後に市ヶ谷で自害した。〉

作家は、文字で自己を表現し、世間に訴えるというのが常道なのに、三島はその常識の枠の中に収まらない。彼の脳裏にあった将来の日本の姿は救いようもなく醜悪で、どうにかしなければならない、文学で訴えているのでは間に合わないという焦燥感が、日に日に膨らんでいったのではないか。

そこで三島は政治家のように、あるいは軍人のように、一途に行動に出た。その時、おそらく彼の中で、かつて自分の描いた理想の人物と自分自身とが、ほとんど狂気とすれすれのところで融合した。それはすでに作家ではない、誰にも理解されない三島の姿だった。

しかし世間は、「文学者である三島」にそんなことは期待していなかったのだ。だから、彼の行動は日本中の人々をびっくりさせたが、その声は誰の耳にも届かなかった。

ドイツ人が三島を敬遠する理由

三島はドイツではほとんど知られていない。訳本はそれほど多くはなく、『仮面の告白』、『金閣寺』、『禁色』、『春の雪』、『愛の渇き』、『憂国』など。

アメリカやフランスでは、半世紀以上も前から注目されていたというが、ドイツでは、日本文学の研究者以外では三島の認知度は低い。稀に新聞などで紹介される時も、エキセントリックな作家という扱いだ。掲載される写真は軍国主義的なものが多い。褌一丁の裸体もある。

ドイツ人が三島を敬遠する理由を、私は次のように考える。

戦後のドイツ人は愛国ということを常に否定的に見る。「我が国」という言葉さえ嫌い、「ドイツ」と第三人称的に使うほどだ。つまり、三島文学の底に流れる「天皇を中心とする国家」や「愛国心」は、ドイツ人にとって不快なものでしかない。

だからといって彼らには、三島の作品を文学として評価するという寛容さもない。自由な思想とは、ドイツでは「愛国」と反対の方向に発展する範囲でしか許されないのだ。

今年の3月、保守系の大手紙Die Weltのオンライン版に出た「三島由紀夫がサムライ戦士だった時」というタイトルの記事のリードは、次のようなものだった。

「日本の作家、三島由紀夫はエキセントリックな人生を送った。彼は、リルケと、オスカー・ワイルドと、そして、自分自身の肉体を愛した。1970年の11月25日は、『三島事件』として歴史に刻まれた。何が起こったか?」

https://www.welt.de/kultur/literarischewelt/article206398727/Als-Yukio-Mishima-zum-Samurai-Krieger-wurde.html

記事の方は、三島は確かに常軌を逸していたのだと思わせる描き方で、切腹、および介錯の部分は、特に詳細に描写してあった。ただ、私は次の一節に驚いた。

「1925年1月14日に東京で生まれ、ノーベル文学賞候補として名前があがっていた売れっ子作家が、極右思想に共感するなど、そのわずか10年前ですら、ほとんど誰も想像できなかった。ただ、彼は、組織的犯罪者であるヤクザに代表される極右活動家とは、距離を置いていた」

これを読めば、愛国の思想がドイツでどういう扱いを受けているかがよくわかる。憂国の士も、ヤクザもほぼ同列なのだ。極右とフーリガンが一緒にされるのと同じ感覚だろう。保守系紙でさえこれである。

左派系紙ではどう書かれているか

一方、去年2月には、初めての日本語からの訳(これまでの物は英語版からの独訳だった)として出版された『仮面の告白』の書評が、左派系の大手紙である南ドイツ新聞に出た。

https://www.sueddeutsche.de/kultur/yukio-mishima-bekenntnisse-einer-maske-rezension-1.4338019

しかし、読んでみると、同紙のこの作品に対する興味は、文学としての価値というよりも、同性愛がテーマであることが大きかったように感じる。最近のドイツでは、同性愛は良いもので、カミングアウト=告白は、勇気あることとして称賛される傾向が強い

だから、この評論は三島の作品を必ずしも認めてはいない。三島事件については、「このスペクタクルで擬古主義的な儀式に則った血塗られた行為が、それ以後、作家としての三島の姿を決定づけることになる」となっている。

しかも評者は最後には、「三島由紀夫は同性愛の解放のために戦ったパイオニアではなかった。彼の作品には、綱領宣言的なもの、訴えの響きが欠けている」と、不満まで述べている。

ドイツの文学界は、戦後、ホロコースト・ショックで膠着し、結局、フランクフルト学派と呼ばれる左派の手に落ちてしまう。以来、文壇は、未だに彼らの強力なポリティカル・コレクトネスに縛られたままだ。

要するに三島文学は、ドイツの「民主主義」やら「平等」には合わないのだろう。とりわけ、戯曲『わが友ヒットラー』というタイトルが問題なのではないかと想像する。ドイツ文学では、ヒトラーを友と呼ぶことは、いかなる場合でも不可能である。

三島は現在の日本をどう思うのか

11月25日、三島の命日に毎年必ず開かれてきた「憂国忌」が50回目を迎える。

三島が生前に認めた檄文には、こうある。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善の身に捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みをしながら見ていなければならなかった

おそらく、来たる25日、憂国忌の登壇者の言葉には、三島の予想通りになりつつある日本を憂える気持ちと、50年も惰眠を貪ってしまったという痛恨の念が交錯するのではないか。

もし、三島が現在の日本、いや、世界を見たら、何と言うだろう。三島自害の意味をもう一度振り返ることは、まさに乱世の今、非常に有意義なことではないかと想像する。

今年の憂国忌は感染症対策のため人数を制限しており、その代わりに14時よりチャンネル桜で生中継が行われる(http://yukokuki.sblo.jp/)。ご興味のある方は、どうぞご覧ください。

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