「なかったこと」を「あった」と言いふらされても何もしない日本

宮崎正弘
宮崎正弘のコメント

トルコの抗議は、ナショナリズムという観点から言えば、「普通の国家」として、当然すぎるほどの対応です。
「普通の国」ですらない日本とちがって、米国とコトを構えても容赦しないというナショナルな決意がトルコ政府にはあります。
 また法的には、NATOの加盟国であっても、EUのメンバーにはなれないトルコにはイスラム世俗主義ながらも反米、反欧感情があります。
そのうえでの米軍駐留は、日米安保条約のような半恒久的なものではなく、アフガニスタン空爆とイラク戦争の対応のための「契約」であり、トルコと日本とは立場の強弱が違う。

 しかし、もっと決定的に違うことがあります。
「南京大虐殺」なるものはなかった。けれど「アルメニア大虐殺」はあった!
 アルメニアは国際社会にトルコを非難する目的で誇大な数字(100万から、最近は150万人に水増し)とトルコ軍の関与を強調しすぎる。実態は数万人規模、ただし、トルコ軍の関与は「グレーゾーン」ですね。
 ひるがえって南京なるものは、国民党のでっち上げた「事件」の創作宣伝を外国人ジャーナリスト(蒋介石の代理人だった)が事実無根の報道をしたことにより、虚報が一人歩きしたものです。
中国は、この国民党の政治宣伝を便利に継承しはじめたのです。「不便」を感じれば、そのうち沙汰止みとするかもしれません。
 ともかく「あったこと」を「なかった」というトルコと、「なかったこと」を「あった」と言いふらされても何もしない日本。
この両者の差異こそは鮮明であり、国益を追求しない日本の姿勢のほうが問題です。
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