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(旧 これは 見とこ知っとこ メモ)
あとはおまかせ
「事業仕分け」自民党は何でこれをやらなかったんだろう
田中良紹
「事業仕分け」で大騒ぎ
「事業仕分け」を予算の決定機関と過大評価しているかのような批判である。私には谷川秀善自民党参議院幹事長の発言が最も的を得ていると思えた。「ただのパフォーマンスやけど、国民には新鮮に見えるやろうな。自民党は何でこれをやらなかったんだろう」と谷川氏は言った。その通りで「事業仕分け」は予算案を決める手前の「パフォーマンス」に過ぎないのである
正式に予算を決める作業でもない「事業仕分け」が何故これほどに注目されるのか。それは予算を作成するプロセスの一部が初めて国民に公開されたからである
「事業仕分け」の結論は大事でも何でもなく、予算案を作るための「参考」に過ぎない。むしろ大事なのはこの「パフォーマンス」によって、「事業仕分け」の対象にならない分も含めた予算の削減が可能になる「効果」の方である。
予算について最も良く知っているのは仕分け人でも政治家でもない。各官庁の官僚である。何が無駄かを知っているのも官僚である。しかし何もなければ官僚は無駄だと思っても予算を削る事が出来ない。正義感で削ったりしたら霞ヶ関で出世する道は永久に閉ざされる
死にものぐるいで抵抗する。その抵抗に負けると予算は既得権益化する。いったん既得権益化すると切るのは容易でなくなり、そのうち政治家や業界とのしがらみも出てきて予算は固定化される。これが積もり積もると財政は破綻する。だから時々政権交代でしがらみを断ち切る必要があるのである
官僚にしがらみを断ち切らせるには第三者の力を利用するしかない。官僚の意思ではなく新たな仕組みが予算を切るとなれば官僚は誰からも恨まれない。それなら官僚も前から無駄だと思っていた予算を削る提案が出来る
「事業仕分け」の現場を見れば仕分け人と官僚は敵対している。そして実際に敵対するケースは多いと思う。しかし実は敵対しているように見せながら、官僚がこれまで出来なかった無駄の削減を可能にする仕組みが「事業仕分け」だと私は思っている
本来は国会の予算委員会と決算委員会がその役目を果たすべきだと考えるからである。予算委員会できちんと予算の議論をしていれば、国民は税金がどのように無駄に使われそうになっているかを知る事が出来、決算委員会を見ればどれだけの無駄があったかを知る事が出来たはずである。
ところが前にも書いたが、予算委員会の国会中継はスキャンダルの追及ばかりである。予算の議論などほとんど見たことがない。決算委員会と言えば直近の予算の使い道ではなく、2年前の税金の使い道を対象にしているから気の抜けたビールになる。そうした国会のあり方をこれまで誰も批判してこなかった。
「事業仕分け」で大騒ぎ
「事業仕分け」を予算の決定機関と過大評価しているかのような批判である。私には谷川秀善自民党参議院幹事長の発言が最も的を得ていると思えた。「ただのパフォーマンスやけど、国民には新鮮に見えるやろうな。自民党は何でこれをやらなかったんだろう」と谷川氏は言った。その通りで「事業仕分け」は予算案を決める手前の「パフォーマンス」に過ぎないのである
正式に予算を決める作業でもない「事業仕分け」が何故これほどに注目されるのか。それは予算を作成するプロセスの一部が初めて国民に公開されたからである
「事業仕分け」の結論は大事でも何でもなく、予算案を作るための「参考」に過ぎない。むしろ大事なのはこの「パフォーマンス」によって、「事業仕分け」の対象にならない分も含めた予算の削減が可能になる「効果」の方である。
予算について最も良く知っているのは仕分け人でも政治家でもない。各官庁の官僚である。何が無駄かを知っているのも官僚である。しかし何もなければ官僚は無駄だと思っても予算を削る事が出来ない。正義感で削ったりしたら霞ヶ関で出世する道は永久に閉ざされる
死にものぐるいで抵抗する。その抵抗に負けると予算は既得権益化する。いったん既得権益化すると切るのは容易でなくなり、そのうち政治家や業界とのしがらみも出てきて予算は固定化される。これが積もり積もると財政は破綻する。だから時々政権交代でしがらみを断ち切る必要があるのである
官僚にしがらみを断ち切らせるには第三者の力を利用するしかない。官僚の意思ではなく新たな仕組みが予算を切るとなれば官僚は誰からも恨まれない。それなら官僚も前から無駄だと思っていた予算を削る提案が出来る
「事業仕分け」の現場を見れば仕分け人と官僚は敵対している。そして実際に敵対するケースは多いと思う。しかし実は敵対しているように見せながら、官僚がこれまで出来なかった無駄の削減を可能にする仕組みが「事業仕分け」だと私は思っている
本来は国会の予算委員会と決算委員会がその役目を果たすべきだと考えるからである。予算委員会できちんと予算の議論をしていれば、国民は税金がどのように無駄に使われそうになっているかを知る事が出来、決算委員会を見ればどれだけの無駄があったかを知る事が出来たはずである。
ところが前にも書いたが、予算委員会の国会中継はスキャンダルの追及ばかりである。予算の議論などほとんど見たことがない。決算委員会と言えば直近の予算の使い道ではなく、2年前の税金の使い道を対象にしているから気の抜けたビールになる。そうした国会のあり方をこれまで誰も批判してこなかった。
予算に対する関心を抱かせない国会は予算を作ってきた霞ヶ関の官僚にとって都合の良い存在だった。これまでは国民に注目されずに思い通りの予算を成立させてきたのである。その反動が「事業仕分け」に対する国民の高い注目となって現れた。この変化を国会議員は肝に銘ずるべきである。
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