日韓関係の悪化から特別永住者や在日外国人の是非についても議論が活発になっています。
ひとくくりに在日外国人と呼ばれているが大きく分けると特別永住者と永住外国人に大別される。
永住外国人は日本政府が永住許可を出した外国人すべてで、多くの在日韓国人も含まれる。
特別永住者は日韓基本条約に基づいて永住権を認めた外国人で、適用される法律が違う。
この結果永住外国人が刑法の有罪判決を受けた時の処遇が大きく違い、一般の永住外国人は1年以上の実刑判決で原則強制退去になる。
特別永住者は7年を超える実刑判決を受け、なおかつかつ法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定した場合は強制退去できる。
だが今までに強制退去になった特別永住者は1人もいないので、事実上いかなる場合も強制退去にならない。
特別永住者の人数は1996年に55万人だったが、2018年は32万人と急速に減少している。
永住韓国人(北朝鮮含む)の人数は約48万人なので、約16万人は「特別」ではない永住者という事になる。
特別永住権は子供に相続できるが生後60日以内に親が届け出ないと権利を失うので、代替わりのたびに減少している。
日本国籍を持つ人と結婚する場合は、子供を日本国籍にする場合が多いのでさらに減少する。
このように永住韓国人の人数は減りつつあるのだが、「在日」の始まりはいつだったのか研究されていないし知られてもいない。
日本を統一したヤマトはそれからどうした?
朝鮮半島や大陸から日本に移住してきた人は渡来人と呼ばれていて、非常に古くから存在が確認されている。広義の意味では日本人全員が列島外から渡来してきた渡来人という事もでき、その始まりは3万年以上前に遡る。
縄文時代以前の事は省略するとして一般的に渡来人と呼ばれるのは縄文末期、紀元前1000年ほど前からです。
恐らくは長江流域から朝鮮半島南部を経由して福岡の海岸に上陸した渡来人が、日本初の水田を作り弥生時代の先駆けになった。弥生時代を通じて渡来は続き、日本列島の縄文人と交わって「弥生人」になり、現在のヤマト人種を形成した。
弥生時代に朝鮮半島に住んでいたのは縄文人と同じような人種で、現在の朝鮮族はまだ中国大陸に住んでいました。
大陸では紀元前400年ごろから西暦300年頃まで混乱が続き、大陸から押し出されるように朝鮮族は半島に逃げてきて住み着きました。
ですから弥生人の一部を構成する渡来人が朝鮮族だったというような仮説は現実にはあり得ません。
弥生人はヤマト国家を作り奈良県に都を開き、天皇を中心とした強力な古代国家を建設しました。
これを描いたのが古事記と日本書紀で内容には議論があるが、西暦300年頃までに日本列島をヤマト国家が征服したのは事実です。
問題はそこから先でヤマト国家が成立した頃朝鮮半島にはまだ統一国家がなく、誰のものでもない状態でした。
記紀によると西暦400年頃に神功皇后が半島に出兵し、新羅、百済、高句麗を打ち破り属国とした。
こんな無駄なものを誰に作らせたのだろうか?
渡来人の流入がなくなると巨大古墳も作られなくなった