北朝鮮の代理人 カーター

 宮崎正弘 ◆書評  ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆ 

平成26年(2014)9月11日(木曜日)
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 拉致事件、大韓航空機爆破事件、ラングーン事件は世界を震撼させたが
独裁者たちの検証を客観的に先入観にとらわれないで見ると、あの国はどうなる?

大島信三『異形国家を作った男 金日成の生涯と負の遺産』(芙蓉書房出版)
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 類書とまったく異なるのが本書である。
 著者の大島氏は前の『正論』編集長。意外な人へのインタビューをよくこなされた。名文家でもある。
感情的嫌悪感を捨て、冷静にキムイルソンを見ているのが本書の第一の特徴である。
 そしてキムイルソンの外交戦略を夥しい逸話と文献、そして関係者へのインタビューから判断し、謎に包まれたまま実態がまったく不透明とされた稀有の指導者像に迫る。むろん、キムイルソンをほめているわけでもなく、しかし徒らに非難したりもしない。
 本書は浩瀚なので、通読に三日を要した。
意 外に面白くまたエキサイトする場面もたくさんあり、不可解な行動ばかりの北朝鮮王朝の三代にわたるミステリーの背景がわかって有益だった。先に小誌でも紹 介した近藤大介氏の『習近平は必ず金正恩を殺す』(講談社)のセンセーショナリズムとは対照的で、記述は微に入り細に亘るが静かなのである。

 1994年、北の核開発をめぐって一触即発の危機があった。これは『キューバ危機』に匹敵するものだったと、米国の交渉担当者、ペンタゴンの責任者らが回想している。
 すなわち同年6月10日、中国からキムイルソンを不快にさせるメッセージが届いた。
「中 国は国連安保理で北朝鮮に対する制裁決議には反対するが、国際世論から拒否権の行使は見送るかも知れないというのだ。同じ日、IAEA理事会は北朝鮮に対 する技術協力や年間50万トンの援助を停止することを決定した。中国は票決に棄権した。ただちに北朝鮮はIAEAからの離脱を声明し、ニョンビョンに駐在 する二人の査察官の国外退去を表明した」。
この一触即発の危機に際して米国は三つの選択肢を抱えた。
「一つ目は交渉によって北朝鮮の核開発を凍結させること。三つ目は軍事行動に踏み切り、核施設を破壊すること。三つ目は何もしないで経過観察を続けることだ」った。
とりわけ第二の選択はサージカルアタック(外科的空爆)と呼ばれ、ペリー国防長官はペンタゴンで真剣に検討していた
クリントンは迷いに迷っていた。まさに彼が尊敬するJFKが直面した、あのキューバ危機に匹敵する出来事でペリー国防長官の助言に従うしかなかった。
6月16日ホワイトハウスでは『戦争会議』が開催された。
「韓国の金水泳三大統領はアメリカ側の強硬な姿勢に青ざめた。ニョンビョンへの空爆が強行された瞬間、報復のために北朝鮮のミサイルは発射され、ソウルが火の海になるのは目に見えていたからだ。金泳三は軍事行動に踏み切らないようクリントンを必死で説得した」
そして。
 実はキムイルソンには、この土壇場を左右するカードを密かに握っていた。北朝鮮はハト派のカーター元大統領に接触していたのだ。「影響力のある代理人」である。
「工作に長けた北朝鮮はあらゆる機会を捉えてカーターへ接近を試み、ついに訪朝させるのに成功した。主席にとってカーターは米朝をつなぐ頼りがいのあるホットラインであった」。
ホワイトハウスでは五万人規模の在韓米軍への追加派兵がペリー国防長官によって大統領に進言されるところだった。直前に一本の電話がなった。
電話口でカーター元大統領が叫んだ。
「キムイルソンが核開発の凍結と査察官の残留に同意した」
土壇場で戦争は回避された。つまりキムイルソンは役者が一枚上だった。そのうえ、ヨットにカーターを招いて、キムイルソンは金泳三を招待し南北トップ会談を提案、カーターに伝言を頼むという挙に出た。
後に金正成が金大中を招き、金大中だけがノーベル平和賞を獲得することになるが、演出にかけては北朝鮮はチキンゲームのやり方を知っていた。
しかしその直後に「キムイルソンが急死し、世界に衝撃が走った」(本書341p-345p)のである。

本 書の前半部では金日成がソ連に隠れ住んでいた時代からの知られざる逸話から、その家庭には日本人女性ふたりが家政婦として働いていた事実経過、かれが中国 共産党に入党していた事実と、その後の権力闘争で、延安派(中国派)、ソ連派、民族派を巧妙に分断して粛正し独裁を樹立していったかの過程が描かれ、また 朝鮮戦争にいたる舞台裏の動きを別の角度から詳細に描いている。

その ジミー・カーターは WIKI ↓

これらの功績により、「数十年間にわたり、国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した」ことを評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞した。反面、「史上最強の元大統領」、「最初から『元大統領』ならよかったのに」と、賞賛と半ば皮肉をこめて国内外のマスコミに呼ばれた

ハト派なんとかには ろくなやつしかいない その見本



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