氣を出して奇跡を起こす方法

 

氣を出して奇跡を起こす方法 : ITスペシャリストが語る芸術

合氣道家の藤平光一さんの教えは、一言で言えば「氣を出せば何でもうまくいく」だと思う。
他の合気道家・・・それも藤平さんの師の植芝盛平ですら「気」の文字を使っていたのに、藤平さんは「氣」が正しい、「気」は間違いだとこだわった。
その理由は、「氣」の中の「米」は発散するイメージだが「気」の中の「メ」は閉じ込めるイメージがあるからで、なるほどそんな感じがする。
どちらでもいいと言ったら失礼だし、発明家の中山正和さんも象形文字である漢字の形は意味があると述べていたので、そういったことも大事なのだろう。
それで、まあ、藤平さんに関しては「氣」の文字を使おう。

氣を出せば何でもうまくいく。
何でもとは、文字通り何でもで、スポーツもビジネスも武道も学問も人間関係もだ。
面白いところでは、砲弾飛び交う戦場でも、氣を出していれば被害に遭わない・・・つまり、弾は当たらない。
藤平さんも、第二次世界大戦の時、織田信長のように、砲弾飛び交う戦場を悠々と歩いたらしい。

さて、では、どうすれば氣が出るかだが、それはいろいろあり、藤平さんは、よく分かるやり方から、正直、抽象的でさっぱり分からない・・・あるいは、分かるような感じはするが、実際はさっぱり分からないやり方まで教えている。
分かり易いのは言葉を使う方法だ。
藤平さんは、当たり前のことを言えば氣が出ると言う。
藤平さんがよく例に出していたのは「重みは下にある」だ。
「重みは下にある」と言えば氣が出る。実に簡単だ。
もちろん、地球上と言うより惑星上ではということだが、飛行機で離陸前に加速する時は重みを後ろに感じるし、私は幼稚園の時、グローブジャングル(丸くて水平方向に回るジャングルジム)で回転中は、重みは外側に向くことを強く感じたので、あまり「重みは下にある」が当たり前とは思わない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、最も当たり前のことは「私は在る」だと言っただけでなく、人間が納得出来るただ1つのことが「私は在る」だと言った。
しかし、眠っている時、失神している時、それに、ちょっとうたた寝している時ですら、「私は在る」という感覚はないので、マハラジの言葉に全面的に賛成するわけにはいかない。
私なら、最も当たり前のことは、自分が生きていることで、しかも、これほど重要なことはないのだから、最も氣が出る言葉は「生きている」である。
言うなれば、最強の呪文は「生きている」である。
他に、私が好きな呪文としては「神に出来ないことはない」がある。
言い方を変えれば「神は何でも出来る」、あるいは、「神は全知全能である」だ。
ただ、これは神を信じる人にしか通用しない。
L.H.ローソン(ロースン)という、『ヒマラヤ聖者の生活探求』にも、ジョセフ・マーフィーの本にも出てくるイギリスの技術者の呪文は、
「神の他に何もない(There is nothing, but GOD)」
で、彼は、この言葉を唱えるだけで、いかなる奇跡でも起こせた。
尚、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の翻訳では「神の他に何もない。ただ神だけがある」となっていたが、「神だけがある」「神が全て」と言い換えても良いだろう。

その他に、私が作った、私が好きな言葉は「それは可能だ」で、「それは簡単だ」「それは出来る」でも良い。
好きな言葉を使って氣を出すと楽しい人生になるだろう。

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