ドイツ政府が憲法改正までして進める「教育のデジタル化」の中身

今回も そうなんだと 読ませます 

以下全文引用↓

川口 マーン 惠美

ドイツ政府が憲法改正までして進める「教育のデジタル化」の中身

インターネット環境は「中世」なのに 

ナチ政権時代の反省

ドイツでは、教育は州の管轄だ。ドイツ基本法(憲法に相当)は、教育分野における国と州の協力を禁止している。だから、国は一切口を挟めず、全国16州(正確には13州と、州扱いであるベルリン、ハンブルク、ブレーメンの3つの特別自治市)では、教育のやり方はさまざま。

たとえば、小学校はたいていの州では4年生までだが、ベルリンと、そこに隣接したブランデンブルク州では6年生までとか、イスラム移民の多いノートライン−ヴェストファレン州では、宗教の時間にカトリックとプロテスタントだけでなく、イスラム教があるとか。

国は、貧乏な自治体が学校を建てる時など、例外的に建築費用を補助することはあるが、基本的には経済的援助もしてはいけない。だからだろう、ドイツ国はずっとプライマリーバランスが黒字であるにもかかわらず、各地にはオンボロの学校が多い。

こういう規則のもとでは、しかし、数々の不都合が起こる。教育カリキュラムが違うので、当然、学力のレベルも違ってきて、たとえば、南のバイエルン州やバーデン−ヴュルテンベルク州などはレベルが高い。だから、これらの州の生徒は、ドイツ中どこに引っ越しても問題はないが、その反対は、結構大変なことになる。

ギムナジウムの最終年には、アビトゥアという日本のセンター試験のような試験がある。この試験に合格しなければ、ギムナジウムは卒業できず、したがって大学に行く資格も取れない。大学入試はなく、合否はアビトゥアの点数で決まるのだ。

なのに、州によってアビトゥアの難易度に差があるため、アビトゥアの点数だけでは一概に実力が測れないという事態が起こる。たとえば前述の2州で厳しいアビトゥアを受けた学生は、他の州の学生より点数が悪くても、本当の実力は勝っていたりするのである。

そこで、これでは不公平だということで、厳格なアビトゥアを実施している州出身の学生には、入学者選考の際、ちゃんと下駄を履かせてくれるということが、各大学で公式に行われている。

そんなことなら、いっそのこと、アビトゥアだけでも全国共通にしようという話は、すでに20年も前からあるが、実現しない。成績の悪い州が絶対に賛成しないからだ。

普段は合理的なドイツ人が、なぜ、こういう不合理をそのまま残しているのかというと、これまたヒトラーのせいだ。ナチ政権の時代に、それまで邦国時代からワイマール共和国までずっと地方分権で続いてきた教育制度が全国共通になり、学校がプロパガンダの場所として利用された。

そこで戦後、それを繰り返すまいと、西ドイツは再び教育を国政から引き離したのである(東ドイツは、東西ドイツの統一まで、国が教育を強力に管理し続けたことは、いうまでもない)。

 

教育のデジタル化

ところが、今年の3月、その長い伝統がついに崩れた。

ドイツは憲法を一部改正し、国が州の教育への金銭援助をすることを、一部だけ認めることになった。なぜか? 教育のデジタル化という雄大な計画を推し進めるためである。この教育の新方針は、デジタルパクトと呼ばれている。

憲法改正には連邦議会と連邦参議院の両院で3分の2以上の賛成が必要だが、ドイツはすでに60回以上も憲法を改正しているので、それ自体にはさほど問題はない。今回の憲法改正で、国は今後5年間、計50億ユーロのお金を州に拠出できることになった。日本円に直せば約6500億だ。教育のデジタル化には膨大なお金がかかる。

では、ドイツ政府がそこまでして進めようとしている教育のデジタル化とは何か? これは日本で ICT教育と呼ばれているもので、“Information & Communication Technology”を活用した教育。

具体的に言えば、生徒全員がタブレットを手に授業を受け、黒板に代わるのはインタラクティブ・ホワイトボード(電子黒板)。これは板書もできれば、コンピュータの画面として利用することもできる。もちろんタッチ操作も可能。そして、ここに書かれたものは、生徒がタブレットで受けたり、印刷したりすることができる。

それだけではない。さらにドイツでは今後、「コンピュータ」という学科も新設する予定だそうだ。「コンピュータ科」は国語や算数と同じく小学1年生から始まり、その内容は“Computational thinking”、プログラミング、データ分析、ロボット工学(センサー、人工知能)、そしてデジタル倫理学など。こうなると、コンピュータ科の新しい教師を採用しなくてはならないだろう。

もちろん、これらの実現には、学校に高性能の無線LANが整備され、学校内がネットワーク化され、生徒各自が使うタブレットの完備が前提となる。そして肝心なのは、デジタル教材ソフト。つまり、各学校は今後、山のように多くのものを購入しなければならない。だから、いったいどこのメーカーの製品が購入されるのかも見物だ。

ただ、問題は、職場が突然、ハイテク器具が溢れたオフィスのようになって、普通の教師が付いていけるかどうかということ。もともとドイツの教師には、デジタル機器を好まない人が結構多い。テレビのお天気お姉さんがスティックで画面を叩いて、傘マークから雨が降ってくるのは見ていて楽しいが、そんなことを普通の教師が授業でできるとも思えない。

それどころか、いざ授業という時、誰かのタブレットが立ち上がらなかったり、教師が示そうと思ったデータが固まってしまったりしたときにはどうするのか。解決法を生徒に教えてもらうようでは教師の面目丸つぶれだが、その可能性はかなり高い。

結局、最大の難関は、教師のコンピュータ教育と思われる。また、機器が増えればメンテナンスも必要だし、IT整備係の職員も必要になるかもしれない。

まずはインターネット砂漠を…

数年前、小・中学校の授業用に開発したソフトを見に行ったことがあった。たとえば数学では、モニターに縦横の罫線があり、点と線が映っている。点を指で触りながら滑らせていくと、線が自由自在に変わり、両手を使って二個の点を同時に滑らせると、図形の動きはさらに複雑になった。

私が子供の頃、数学の先生は、巨大な三角定規や分度器やコンパスを使って黒板に図形を描き、私たちも、それを真似てノートに図形を描いたものだが、将来は、生徒もモニターをなぞるだけで、自分で図形を描くことはなくなるのだろうかと、そのとき思った。

理科やら音楽の授業用のソフトもあり、どれも面白かったが実感が伴わない。触っていないものを触り、持ち上げていないものを持ち上げ、描いていないものを描き、そして、実際に存在しない物を見ている感じを払拭できなかった。ただ、これから授業がどんどんデジタル化していくのは時代の流れで、これが当たり前になっていくのだろう。

というわけで、遠大な計画に突き進んでいるドイツだが、実は、この国は高速インターネット接続が致命的に遅れている。2017年のOECD 調査結果では、先進国34ヵ国のうち、なんと29位。とくに都会を離れると、インターネット環境は「中世」と言われ、ケータイ電話での通話もプチプチ切れる

政府は盛んに5Gだとか、インダストリー5.0などと言っているが、国民の希望は、「まずはインターネット砂漠を何とかしてほしい」という切実なもの。

何につけてもこの国は、相も変わらずビションが先行する国である。

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