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村田英雄 女が900人ちょっとはいる/バクチ好きのフランク永井
【追悼】新川二朗さんが生前語っていた、ベテラン歌手ならではの豪快逸話の数々|日刊ゲンダイDIGITAL
60代以上には懐かしいという言い方がいいのかもしれない。1964年に発売されてヒットした「東京の灯よいつまでも」を歌った新川二朗さんが脳梗塞による気管支炎で亡くなった。82歳だった。
近年はテレビ東京系で年末に放送される「年忘れにっぽんの歌」やBSの歌番組で見かけることが多かったが、本紙には2016年に新曲「泣かせ酒」を発売した際、インタビューコラム「涙と笑いの私の酒人生」にご登場いただき、ベテラン歌手ならではの豪快なエピソードを語ってくれた。
新川さんが所属していた新栄プロは「王将」の村田英雄さんや北島三郎さんが所属していた。大先輩だった村田御大との思い出。
「僕は村田英雄さんにスカウトされてこの世界に入ったんだけど、村田さんとはよく飲んだね。あの方は豪快な人でね。村田さんの隣にはいつも美しい女性がいましたね。『新川、歌い手は英雄色を好むってな。女房だけじゃダメなんだよ。こういう女が900人ちょっとはいるぞ……千人斬りだ!』って豪語してた」
飲んだ時はほとんど女かバクチの話だった。
バクチ好きのフランク永井さんとの思い出もある。たまたま岡山の仕事に出かけ、新幹線でばったり会って、そのまま旅館へ。その日は飲みっぱなしで一晩中ポーカーに興じ、朝の9時まで付き合わされた。フランクさんのマネジャーに「いい加減にしてください」と怒られてもやめなかったという。なんとも羨ましい話、時代だった。
時は流れ、平成の世になって、新川さんがハマっていたのは石川さゆりの「天城越え」だった。照れ屋で飲み屋では自分の歌を歌いたくない。それで銀座の初めての店に行った際、ママに「私の誕生日だから」とせがまれ歌ったのが「天城越え」だった。歌い終わるとホステスたちがやってきて「感動しました」と大喜び。以来、十八番になったという。
昭和はますます遠くになりにけり。
(文=峯田淳/日刊ゲンダイ)
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