「三島も川端もいない令和元禄」 劣化した日本文化もまた「三島の不在で満たされている」

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【三島由紀夫 50年】「三島も川端もいない令和元禄」 劣化した日本文化もまた「三島の不在で満たされている」

 三島由紀夫は生前、数々のアフォリズム(=名言や格言)を残している。中でも、「芭蕉も西鶴もいない昭和元禄」という、劣化した日本文化への的確な警句がある。

 現代日本はさしあたって、「三島も川端もいない令和元禄」。作家、大江健三郎や村上春樹の作品には、日本的な美が描かれていない

 そのうえ、日本史の神髄を理解しないミーハーがおびただしくなって、女系天皇に賛成している。歴史と伝統の破壊につながることに、さほどの関心がない。

 明治は遠くなりにけり、どころか昭和の情緒も消えかけている。だから、大事件が起こる度に「もし三島さんが生きていたらどういう論評をするだろうか」との声があがるのだ。

 作曲家の黛敏郎が言ったように「世界は三島氏の不在で満たされている」。

 「100年後しか私は理解されない」と三島は言い残した。それを50年に縮めるために保守系が立ち上がり、「憲法改正」「北方領土の日」「教科書正常化」「拉致被害者救援活動」などの国民運動が本格化し、参加人員が増えていることでも、潮の流れの変化がつかめる。

 大手メディアに飽き足らない人たちがSNSで発信し、ユーチューブのテレビ局はあふれるほどの盛況ぶり。どうやら、時代は大きく変わろうとしているのではないか。

三島が「改憲」「自衛力増強」を訴え、核拡散防止条約への不満をならしていた昭和40年代前半、例えば学生時代の私(宮崎)はキャンパスに立て看板とマイク。「国防の充実」を訴えていたら、女子学生から唾を吐きかけられた。ビラは目の前で破られた。

 確かに、自衛隊を税金泥棒呼ばわりする人は減ったが、北朝鮮のミサイル発射、中国の沖縄県・尖閣諸島周辺の領海侵犯には不感症である。

 「令和元禄」の貧困な文化状況は、この半世紀、三島に迫る文学作品もなければ、和歌の世界は『サラダ記念日』とかの新派に汚染され、俳壇には「第二の子規」が出ない。

 作法や着付けや順序にうるさい茶道も生け花も、伝統的な小唄、都々逸、三味線は廃れ、勇ましくも哀切な軍歌も、日本人の情緒を詠じた演歌も歌われないやかましくて意味の分からないライブ。アニメが日本文化の本筋なのだろうかといぶかる人が多い。

 劣化した日本文化もまた、「三島の不在で満たされている」。(敬称略)

 宮崎正弘(みやざき・まさひろ) 評論家、ジャーナリスト。1946年、金沢市生まれ。早大中退。「日本学生新聞」編集長、貿易会社社長を経て、論壇へ。国際政治、経済の舞台裏を独自の情報で解析する評論やルポルタージュに定評があり、同時に中国ウォッチャーの第一人者として健筆を振るう。著書に『新型肺炎、経済崩壊、軍事クーデターでさよなら習近平』(ビジネス社)、『戦後支配の正体 1945-2020』(同)など多数。

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