人間は相手の立場になってみて始めてその痛みやつらさが分かる

村西とおる
中国パクリ天国とコンドームのお話・・・
知り合いの映画プロデューサー氏から聞いた話でございます。

ある映画の撮影で俳優の三國連太郎氏が相手の男の役者を殴るシーンで「ここはリアリズムを追求したいので、実際に相手を思い切り殴らせて欲しい」との「悪望」を出されたそうでございます。

監督は「その必要はありません、ここは殴るフリで結構です」と三國連太郎氏の意見を受け入れることはありませんでした。
が三國連太郎氏は自からの主演作品のそのクライマックスのシーンへの思い入れがことのほか強く「どうしても」とその演技プランの「主張」を撤回することがなかったのであります。

監督の方もまた骨のある人物で、その必要がない、の一点張りでございました。話し合いは平行線をたどりヒートアップする二人の間に分けて入ったプロデューサー氏は一日時間をおいて互いに頭を冷やして考えましょう、と「提案」しその日の撮影を終了しました。

翌日監督は脚本家と相談して書き直した新しい台本を持って撮影現場に現れました。その台本にはそれまでなかった三國連太郎氏に殴られた相手の男の役者が逆に三國氏に殴りかかるシーンが書き加えられてありました。
その台本を見た三國氏はポツリと一言「昨日の台本の通りで結構です」と申されたそうでございます。
三國連太郎氏を貶めるためにこのエピソードを書いたのではございません。
反対に、まことにもって氏の人間臭いその「生涯役者」の魅力を物語る「話」として「好き」な「エピソード」なのでございます。
このエピソードからもう一つ、教訓として読み取りえるものは
「人間は相手の立場になってみて始めてその痛みやつらさが分かる」
のだという「真実」でございます。
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