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日本政府は「大岡越前」を見習え!五輪よりも祭りの復活を
日本政府は「大岡越前」を見習え!五輪よりも祭りの復活を|神楽坂淳の新「異説まちまち」
オリンピックはやはり強行されるようだ。普通の縁日や祭りは、反社だの密すぎるだのと言いがかりをつけて潰したがるのに、スポンサーの招待客観戦は死守するのだから、なかなか“立派”な姿勢だ。
本来、神事である祭りよりも、西洋由来のオリンピックをありがたがる。明治維新が間違っていたような気にすらなる。
江戸時代は毎月どこかしらでお祭りがあった。江戸っ子にとっては祭りと花見というのは重要なイベントである。神輿を担いで大声を出す。それをはやし立てる側も大声を出す。そろいの法被で盛り上げる。一体感も出る。
最近は個人主義という念仏で一体感が薄れてきている気がする。祭りで元気を発散すると疲れるし、すっきりするから悪い考えも気分も飛んでしまう。
現代のように警官が東京に4万人もいる世界ではない。いろいろ合わせて500人で治安を守っていた時代である。だから犯罪が発生しないように気を配った
とはいっても毎月祭りをやっていればどうしても犯罪は起こる。そこで江戸幕府は通常の同心とは別に「祭礼方同心」というのを用意した。お祭り専門の取締官である。部署を新設してでも、江戸庶民の「遊び」を守ったのである。
江戸庶民が一番荒れていたのは吉宗が8代将軍になったころだった。町奉行に赴任した大岡越前は「庶民の楽しみが少ない」ということで、娯楽拡大に力を入れた。花見や祭り、落語、芝居などである。
それによって見事に江戸の犯罪率は激減した。とにかく、捕り方の数ではなくて、民心で犯罪を防ごうとしたのである。イベントも酒もなにもかも禁止したら、犯罪しか残らないと大岡越前は思っていたようだ。
現代の人々は、昔ほど喧嘩っぱやくないから表向きの犯罪率は増えていないかもしれない。しかし家庭内暴力やいじめは増えている。家庭内も社会もギスギスして息苦しい。
そして昔はストレスがたまる=女を買うという直接的な行動が男にはあった。なんせ昔は一番安い買春の基準なら天ぷらそば1杯と値段がかわらないという気軽さだった。
現代は科学的な楽しみが増えてしまって、原始的な楽しみが減っているのではないだろうか。祭りと女で盛り上がる方が健全な気がする。
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