加瀬さんでも 妻と女で苦労している! 朗報?
加瀬英明
男は独立していることが生命 Date : 2015/07/15 (Wed)
(日本大学OB誌『熟年ニュース』掲載、中島氏は同誌主宰者)
中島兄者は、私の師である。兄者夫婦がつねに睦み合っているのを垣間見るたびに、人生という技芸に通達した名人だと、感服する。
兄者夫婦は齢(よわい)からいえば、青年期から大きく遠ざかっているのに、いつまでも活動的だから若い。青春をいっぱいに謳歌されている。
若さを保つためには水と同じように、いつも流れていなければならない。立ち停まれば、沈滞してしまう。
春が四季のなかでは、もっとも難しい季節だろう。
あるフランスの詩人が、「春はもっとも似つかわしい衣裳であっても、これを着こなすのは、むずかしい」と、いっている。
兄者夫婦は常春(とこはる)を、見事に着こなしている。羨ましい。
私は兄者と同じ世代に属しているというのに、しばらく前に秋が過ぎてしまって、冬の季節に耐えている。
冬は悔悟に満ちている。後悔はそれまでの多くの愚行が生んだ卵が、いっせいに孵(かえ)ったものだ。
これまで、妻と女で辛酸を舐めてきた。いつも女性に手を合わせて、敬ってきたのに、土偶坊(でくのぼう)のように罵られたり、石を投げられてきた。
デクノボーは、ふつう木偶坊と書く。だが、私は人生の達人である兄者と違って、躓き転んでばかりいて、泥まみれになってきたので、土偶坊のほうがふさわしい。
人にとって男と女の違いは、もっとも身近な文化摩擦である。
「あなたはわたくしの話を真剣にきいて下さらない」
と、妻がいう。男は妻がなぜ、あんなに喋るのだろうかと思う。
もっとも、男が女に真剣になって話すのは、2回しかない。1度は口説くとき、2回目は別れるときだ。そのあいだは、男は無口なものである。
妻は夫から、無視されていると思う。だが、妻に対して寡黙なのは、けつしてそのような理由からではない。
男としての生い立ちが、そうさせるのだ。
男は情報を分析し、自分と相手とにどのように役立つものか、判断して回答する。無限にお喋りすることは、苦手だ。
男はいつも問題を解決することを、志向している。与えられた問題を解決することが、男の人生である。
そのためには、男は独立を保っていなければならない。だから、女房にあなたこうしなさいといわれて、へえといって従う男は、少ない。
かりに女が正論を述べて、そのときにもっともだと思っても、率直に従うわけにはいかない。男は独立していることが、生命(いのち)であるからだ。
男と女の精神的な仕組みが、違うのだ。男にとって世界は、基本的には支配されるか、支配するか、という世界である。男にとって、水平な関係を結ぶことはむずかしい。激しい生存競争のなかで、つねに上下関係を意識しなければならない。
だから、男にははっきりとした輪郭があるのだ。
ところが、女性は人と話す目的が違っている。
女にとって話すことは、相手と情感を分かち合うことを目的としている。男のように情報を的確に伝えることではない。女が女どうしで男からみれば愚にもつか ないことを、あきれるほど喜々として、延々と話をするのは、情報を交換しているよりも、感情をあらわして、訴えあっているからだ。
したがって、女のお喋りは小鳥の囀りや、虫の鳴き声に似ている。女は小鳥や、コウロギや、スズムシに似ていると思う。
男が家に帰ってから、ほとんど口をきかないために、妻が苦情をいうのは、男にとって話すのは仕事であるから、親しい人と一緒にいるときには話をしないことが、安らぎをもたらすことになる。
ところが、女は親しい相手であるほど、話さなければならない。男女が会話の量をめぐって、諍(いさか)うことになる。
これは、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)ふ国と語りつぎ言ひつがひけり」(万葉集)といわれる、日本だけのことではない。世界のどこへ行ってもみられる、現象である。アメリカや、ヨーロッパのコミックをみても、小説を読んでも、しばしばそのような場面がでてくる。
女は感情を分かち合うことによって、一体化しようとする。女にとっては、会話のなかにこそ安らぎがある。
ところが、男は女と違って、自分を独立した1人の人間として意識しなければ、生きてゆけないので、会話のもっとも大きな目的は、問題を処理するために情報を与えたり、えたりすることにある。
女は秘密を守ることが、できない。秘密を分かち合うことによってこそ、心を通じることができるからだ。
女が殊に他人のゴシップをすることを楽しむのは、詮索好きであるよりも、他人や自分について細々としたことを、相手に訴えることを好むからである。
男はなかなか秘密を漏らさない。もし、そうするときには、親しい男の友人よりも、ゆきつけの赤提灯のおばさんを相手にして、愚痴るものだ。
女はよく喋るだけあって、女のほうが男よりも、はるかによい聞き手なのだ。
男と女は、性(さが)が違うのだ。もって生まれた性質と、宿命が異なっている。
きのうも、今日も、あしたも擦(す)れ違う。二人三脚をしたいと思って、触れ合うほど近くを通っても、また、それぞれ反対の方向へ行ってしまう。