鬱にならないための処方箋、職業召命観とは

この記事 キリスト教 ユダヤ教 イスラム教について 触れていますが

仏教でも 同じでは?

日本で 宗教教育を排除しているのは 致命的です

そして 自殺者を 結果的に賛美しては いけないのです

自殺は 犯罪と捉える西洋の 知恵がない?

伊東 乾

鬱にならないための処方箋、職業召命観とは

なぜユダヤ人は優秀なのか~その3    2018.4.3(火)

ユダヤ教徒やキリスト教徒、イスラム教徒はなぜ「自殺者が少ない」のか?  それは、締め切りの催促があるからだ

多くのユダヤ・キリスト・イスラム教徒は、生活のうえで苦難に遭遇したとき「さて、ここで神様は私に、どのような試練を試しておられるのだろう?」と考えます

何か苦難があったとき、ユダヤ人は(と短く書きますが。クリスチャンでもムスリムでもいい)はすべてを自分に引き受けて悲観したりしません

彼らに才能があるのではなくて、才能というのは人間の多くが持っていて、でも終生気づかず使わずじまいで終わってしまう。これを日常からフルに使い倒している人が、結果的に「才能ある人」と呼ばれるだけのことに過ぎない。

世界の造物主たる神様によって自分も、社会も、この世の中も作られているわけだから、その計画に従って物事が動いているはずである、と彼らは考える

だから、自分を襲った不幸だって、必ず何か理由があるはず。それを探し出すのが自分の務めだと考えます

仕事の上でどうにもならない状況になったというとき、職業を天命(英語で仕事を召命=Callingと呼ぶように)と考える人にとっては、これは神様から与えられた、自分を試すテストだと捉える

それが元気の糧になる。こうした考え方を「職業召命観」と呼びます。つまり、仕事を天命だと思うということですね。具体的に何の仕事かではなく、何であれ目の前のことに創意工夫を凝らして、天の存在に

 「どないでっか? おもしろおまっかいな?」

 とおうかがいを立てる。神のご返事は至る所に聖霊を通じてもたらされるから、喜ばれていたかどうかはすぐに分かる。

 それを通じて、「ああわて、日々、天命に生きとるんやなぁ・・・」と手ごたえやら味わいやらを噛み締める。そういうライフスタイルになるわけです

苦難があったとき、それを自分に課せられた「試練」として受けとめ、どのようにしてこれを合理的に解決するかという覇気、むしろ精神的なエネルギー源に変える精神生活上の習慣

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« バチカンと中... ナベツネ氏 首... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。