ひろさちや先生 脳梗塞で倒れて

まだ 意気軒昂

なお 

この程度の 後遺症なら 

1年ちょっとと

どうせ あの世へ持っていけない お金の一部を 使えば

ほぼ 治ります

まあ 信じる信じないは あなた次第ですが

 

長男に全財産を渡す…父の「好き放題の遺言ノート」で一家は崩壊へ(週刊現代) @gendai_biz

 

・・・・

宗教評論家のひろさちや氏(83歳)も、昨年2月に脳梗塞で倒れ、死の淵に立たされた。しかし、自分が死ぬことへの恐怖はないと言い切る。

「救急車の中であのまま死んでいても、それはそれで良かったと思っています。2ヵ月くらい病院にいて、今もリハビリをしていますが、生きていると面倒ですね。死ねなかったから生きているわけです」

そう語るひろ氏も、60代までは死が怖かったという。

「死んだらどうなるのか、という不安はありました。でも、法然や親鸞、道元など仏教の高僧の物語を読んでいると、誰も死後の心配をしていないことに気づいたのです」

 

記念講演 ひろさちや氏『お釈迦さまの言ったこと』

ひろ先生から電話がありました。「講演会に椅子を用意しておいてくれる?」とのこと(通常ひろ先生は椅子を使わないのです)。続けて、「2月に脳梗塞をやってまだ半身にマヒが残っているので。」と仰いました。
私は驚きました。先生の声が以前と変わらないように思えたので。
先生は「言語中枢は大丈夫だけど、足にマヒが残っているので妻が一緒に来ます。」とのお答え。車でご自宅までお迎えに行きますと申し出ましたが、電車で大丈夫とのことでした。
も~ 私はそれから心配で心配で。「何かあったらどうしよう。」「講演中にお具合が悪くなったらどうしよう。」「でもみんな楽しみにしているし・・・」と。
西来寺に到着したひろ先生は、杖をついていらっしゃいましたが、顔色はいつも通り元気そうで、側では素敵な奥様が支えていらっしゃいます。
講演会が始まると最初ちょっとゆっくりめで話されていましたが、徐々にいつものひろ先生の調子になっていきました。
年内にあと3冊本を出版予定とのこと。ひろ先生の凄さを実感しました!

 

 

【人生相談特集】50歳からの生き方が人生を変える! | ハルメク暮らし

ひろさちやさん「でたらめ、諦め、いい加減が肝要です」

 

実は2019年2月に脳梗塞を患い、2か月ほど入院していました。いまだに杖をついて歩いています。

落ち込まなかったかというと嘘になりますが、救急車に乗って「はい脳梗塞です、入院です」で、よかったと思いますね。自覚症状がなかったので、それまで病気でじくじく悩むことがなかったですから。

私はこれまで学生からお年寄りまであらゆる人生相談を受けてきたのですが、答えはすべて決まっているんです。「でたらめ、諦め、いい加減」。人生の生き方はこの三原則に集約されるのです。

苦しみも楽しみも同じ一つのもの

「でたらめ」というのは、どちらの道かで悩んだとき、実はどちらを選んでもいいということ。私は学生に進路の相談を受けたとき、「さいころを振ってごらん」と言います。その偶然で決めたことが、仏様の意思だと。どちらがいいかなんて誰にもわからないんだから。

「諦め」は、物事の本質を「明らかにする」ということ。明らかの「明」の語源は、窓から差し込んでくる月明かりで物を見ること。それが「諦める」という意味でした。

美人の肌も、太陽光線のもとで虫眼鏡で見たら、汚いでしょ? あまり論理的に「明らかにする」と誰かに責任をなすりつけることにもなってしまう。月明かりでほんのり見れば、美人に見えるし、何事も「程よい」のです。

「いい加減」は、仏教でいう「中道」のこと。何かに向かうとき、張りつめ過ぎず、緩み過ぎないのがいいんです。

私たちは「これは苦しみ、これは楽しみ」と、本当は1つのことなのに2つに分けて考えがちです。それこそ仏教用語でいう戯論(けろん:無益な言論)で、物事を複雑にしている要因です。

思うがままにならないことを、思うがままにしようとしなさんな。これが悩みに対する秘訣です。

 

 

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