ドラマより激しかった古関裕而と内山金子のリアルロマンス

 

ドラマより激しかった古関裕而と内山金子のリアルロマンス

エール」再放送シリーズも7月22日から第5週に入っている。これまで文通だけのやりとりだった古山裕一(窪田正孝)と関内音(二階堂ふみ)が実際に顔を合わす週である。この主人公とヒロインのモデルの古関裕而と内山金子。2人のロマンスはドラマで描かれているより、さらに激しい熱愛ぶりだったようだ。

 豊橋高等女学校(愛知県)を卒業し、声楽家を目指していた金子は、英国の国際作曲コンクールで古関が2等を獲得したという記事を目にした。当時17歳の金子は福島に住む古関に受賞曲「竹取物語」の楽譜を送って欲しいと手紙を送った。それをきっかけに始まった文通は次第にヒートアップしていく。

 金子が「広いこの世界にこうして結ばれた魂と魂」と書けば、古関は「金子さんを残しては外国へ行きたくない」と返す。古関は渡欧し、仏在住の作曲家ストラヴィンスキーに弟子入りする予定だった。文通を繰り返すうち、古関は金子を欧州に連れていきたいと考えるようになっていた。

古関が自分の写真を送ると、金子からも写真が来た。常に金子の写真を持ち歩くようになった古関は「あなたはいつまでもいつまでも美しい。御心まで美しい。そっと接吻しました」と返信した。

■欧州留学をあきらめた本当の理由

 古関は結局、欧州への留学はあきらめることにした。自身の旅費や滞在費はコンクールの主催者が運営する作曲家協会が出してくれることになっていたが、金子の分までは捻出できなかったのだ。作曲家協会の条件は5年以上の滞在。金子と5年も離れて暮らすことなど、古関には考えられなかった。まだ、顔も合わしていないにもかかわらずである。

 文通を始めて3カ月の間に交わした手紙は百数十通にも及んだ。そして、2人はついに対面。そのまま、結婚してしまうのである。古関20歳、金子18歳の時だった。

 結婚してからも、その熱愛はいつまでも冷めなかった。古関の愛妻ぶりを示すエピソードも数多く残されている。太平洋戦争中、金子は古関の生家がある福島に疎開していた。一方、古関はヒットメーカーとして東京に残らなければならなかった

 そんな時、金子が腸チフスにかかり昏睡状態に陥っているというニュースが古関に届く。汽車の切符を手に入れることすら困難な時代である。八方手を尽くして何とか福島まで戻った古関は疲れ切った体のまま、2度も金子に輸血。生死の境をさまよっていた金子はなんとか命をとりとめた。

 だが、そのころには福島の町もたびたび空襲に見舞われるようになっていた。空襲警報が鳴った時、古関はまだ完全には回復していなかった金子を背に負ぶい、地下壕に避難。真っ暗な中を古関は一、二、三と声を出しながら、階段を下りていった。足を踏み外して金子を怪我させないように、あらかじめ階段が何段あるのか数えておいたのだ。愛してやまない妻への心配りだった。

 

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