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親日国と反日国に色分けするばかばかしさ
トトメス5世
親日国と反日国に色分けするばかばかしさ
毛沢東は親日家で、西郷隆盛に憧れて革命運動に参加した
親日国・反日国の幻想
日本には親日国と反日国に色分けしたがる人が居て、マスコミとか言論人が好んで使う。
20世紀には「親日国タイ」のようにボンヤリした意味で使われていて、タイには日本人に親切にしてくれる人が多いというほどの意味だった。
政治、外交で日本を支持するかどうかとは関係なく、人々の風俗とか接し方を言っていた。
記憶では中国と台湾が対立していたころ、台湾が自らを「親日国だ」と主張してマスコミや出版物で宣伝活動を始めた。
それまで台湾は韓国と同じように「従軍慰安婦を謝罪しろ、植民地支配を賠償しろ」とだけ言って来る迷惑な存在だった。だが台湾の中華民国は国連を追放され、歯抜けのように支持する国が減って、次々に共産中国の方を支持した。
すると台湾は今まで「反日」だったのをコロリと転換して「昔から台湾は親日国でした」と言い始めたのだった。
金がなくなると急に「親友」になって近づいてくる人のようで、不気味なのだった。
自ら親日国を名乗るのは、たいていこんなカラクリがあり、何かの目的を持ってやっている。
今では考えられないが日米貿易摩擦が激しかったとき、共産主義のほうの中国が「中国は親日国」だと言っていた。アメリカは敵だが中国は4000年来の友人だという本が書店に溢れ、NHK「シルクロード」という歴史に残る番組を放送した。日本テレビも中国をロケして「西遊記」を放送し、本当に日本と中国は親友になったように思えたが、今はこのザマである。
昔は親日国だった中国
要するに中国は日米対立を利用して日米同盟を引き離し、味方の振りをして経済援助を得るのが目的だった。目的を達したら親日をやめて反日になり、また別な事情ができたら親日を始めるでしょう。
中国を作ったのは毛沢東だが、その毛沢東が「親日家」だったという資料が最近続々と発見されている。
少年の頃の毛沢東は明治維新の本を読むのが好きで、特に西郷隆盛に憧れ、自分も中国で維新を起こしたいと考えていた。
毛沢東が少年の頃はまだ「清国」の時代で、清や欧米列強を倒していく日本帝国を恐れ、尊敬していた。
このため日本軍が大陸から撤退するまで、毛沢東の共産軍は一度も日本軍と戦わず、戦後も(国民党の中国よりは)日本人を優遇した。
つまり毛沢東の中国は親日であり、時代によってそれが反日になったり、また親日になったりしている。
親日国のタイでは数年前に軍事クーデターが起こり、親中国・反米政権が樹立しました。
今までの政権が親日だったとすれば、親中国の分やや反日になり、今までのようにはいかなくなっている。
フィリピンも不安定な国で、政権が替わると周辺国への対応が代わり、現在は親中反米で日本には中立と言うところです。ラオス、ミャンマー、ベトナムは経済的には中国との貿易が多く、隣接しているので昔から結びつきが強い。だがベトナムの反中姿勢にみられるように、結びつきが強い事が親しさに繋がるかは微妙です。
日本と朝鮮半島の結びつきは強いが、親しかったのは1000年以上前の事でした。
一夜にして入れ替わる態度
欧米に目を向けても、過去に日本と同盟国だったり親しかった国も、その後は疎遠に成ったり対立している。
スペイン、ポルトガル、オランダ、ポーランド、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなどその時々で親しくしたり対立したりしている。
第二次大戦前、日本が最も親しくしていていて親近感を持っていたのは、なんとアメリカで山本五十六などは無類のアメリカ好きだった。 アメリカ人に成りたいとすら思っていた節がある それが10年後には太平洋で戦っていた訳で、「親密さ」や「親日国」はこの程度のものです。
逆に反日国も固定しているわけではなく、実は韓国も10年おきぐらいに「困ったときは日本に頼ろう」みたいなブームが起きている。
こうして見ると親日国や反日国はマスコミ用語にすぎず、そのように固定したものではなく、もっとダイナミックで変化に富んだものです。
昨日は反日だった国が今日は親日になっていて、思わぬチャンスがあったり、逆に裏切られたりもするのが国際社会です。その度に大喜びしたり失望しても仕方がないので、そういうものなのです。
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