ドイツ在住35年の私が福島で見た、思いもかけない「現実」

週刊新潮 12月14日号で 高山さん 変幻自在「朝日の風評被害」で 簡潔に取り上げています

どちらも 読みましょう

川口 マーン 惠美

ドイツ在住35年の私が福島で見た、思いもかけない「現実」

ドイツの二の舞を演じないために

11月22日より、拙著『復興の日本人論 誰も書かなかった福島』が書店に並んでいる。悩みに悩んで書いた本だ。

第一作『フセイン独裁下のイラクで暮らして』を発表したのが、1990年。以来、著書は20冊を超えるが、昨今は、回復の兆しの見えない出版不況の中、出してくださるという出版社があればひたすらありがたいご時世となった。なのに私は、今回に限っては上梓を猛烈に逡巡したのである。

私はジャーナリストではない。その昔、ドイツへ行ったのは音楽の留学のため。そのうち、ドイツや日本の日常生活から様々な現象を拾い上げては、日独比較のエッセーを書くようになった。それがいつしかドイツの時事問題の論評に移行し、福島の原発事故のあとは、ドイツと日本の「エネルギー問題」が、図らずもライフワークのようになってしまった。

ドイツは福島第一原発の事故のあと、2022年までに国内の原発を全て止め、それを再エネで代替していくという「エネルギー転換(Energiewende)」を宣言した。当初は日本からも拍手喝采を受けたご自慢の政策だったが、それから6年半、すでに膨大なお金を浪費しつつ、環境問題にもプラスになっていないという惨状だ。CO2の排出が減らない。

日本の状況を見ていると、まさにその二の舞を演じそうで大きな危惧を覚える。そこでもう一度、福島へ足を運び始めた私は、現地で思いもかけない現実に遭遇したのである。以下は拙著「序文」からの引用。

「福島についての報道を見ていると、人が減り、仕事がなく、悲しく寂れたイメージが強い。確かに、いまだに住民が帰宅できない帰還困難区域ではそういう光景もある。

しかし、その他の場所では、事故以来、各自治体が競って復興事業を立ち上げ、また、除染に莫大なお金がかけられていることもあり、かなりの雇用がある。実際に、それらの復興景気に引き寄せられて日本中から企業が集まっている。それは、走っているトラックのナンバープレートを見ると一目瞭然だ。関西の車も少なくない。

福島では、鉄道や道路の復旧はそろそろ終わろうとしており、だから、かえって心配なのは、復興が一段落し、除染も終了してしまったあとの話だ。バブル後のような状態が引き起こされる可能性がある。

また、住民が戻らないと言われているが、廃炉の関係者など、元の住民ではない人たちが移住してくるという現象も起こっている。廃炉はいわば国家事業で、資金切れになる心配はない。しかも、まだ何十年も続く。

だったら移り住もうという人が現れてもけっして不思議ではない。福島は、海あり、山あり、美味しいものありで、住むには良い所だ。避難指示が解除された福島第一原発のそばの町では、最近、すでに不動産取引が活発になっているという」

「もうひとつ驚いたのは、原発事故による避難者への賠償金の話。私は賠償金問題を調べようと思って福島に行ったわけではなかった。しかし、現地に行って話を聞くと、耳に入ってくるのはその話ばかりだった。

賠償金は天文学的な数字になっているが(中略)、多くは税金であり、あるいは、全国民の電気代から出ている。つまり、どちらにしても、ほとんどは国民のお金だ。

しかも、その額は破格のもので、二〇一七年までの賠償金の支払総額が、七兆五千億円。それどころか、賠償、除染、廃炉、中間貯蔵施設を含めた予算の総額は、二十二兆円にものぼる。

しかし、これだけのお金が注ぎ込まれているのに、不思議なことに誰も満足していない。それどころか当の福島では、東電が賠償を出しすぎるから悪いなどと、その貴重なお金がしばしば悪者になっていた」

「本来ならば、福島の復興では、限られた国家予算は国の基礎体力をつけるために活用すべきなのだ。なのに、実際におこなわれていることは、怪我をした人が怪我の部分を労わろうと、食べるものを切り詰めてまで高価な絆創膏を買い、重ね貼りしているのと似ていた。本当に復興を考えるなら、そのお金で滋養のあるものを摂り、体力をつけることのほうがよほど大切ではないか。そうすれば、怪我は自然と治る」

「日本では古来より、村人が全滅するのは、地震、台風、洪水、津波、火山の噴火など、たいてい自然災害のせいだった。だからこそ(中略)悲しくても恨まず、皆で力を合わせた。ところが、福島では原発の事故という異分子が入り込んだために、そうはならなかった。(中略)

しかし、だからといって、加害者と被害者の交渉が冷静になされたようにも見えなかった。法律の解釈はじつに曖昧で、皆がいまだにどこか、昔からの情に支配されていた。日本人らしさ、つまり日本人の長所であった完璧さや、弱い者に寄り添うという優しさまでもが、かえって現実的な事故処理の足を引っ張ったり、復興計画を不合理なものにしているようだった」

ドイツでは、9月24日の総選挙以来、組閣のための連立交渉が続いているが、未だにまとまらない。争点の一つが、やはりエネルギー政策だ。

現在の「エネルギー転換」は、このままいけば、最終的に東西ドイツの統一よりもお金がかかるだろうとさえ言われ始めている(統一後27年経った現在も、東を支えるために西からかなりのお金を送っている)。今後、どんな連立政府が立つにしても、エネルギー政策の修正は避けられないものになるだろう。

福島の本当の復興のために

さて、福島からは未だに憂鬱なニュースや風評ばかりが伝わってくるが、本当はいい話もたくさんある。拙著では、それらもたくさん取り上げたつもりだ。

今、私が一番願うのは、風評の撲滅。そして本書の最後は、将来、福島を日本のシリコンバレーに、柏崎をNASAに、そして、青森空港を国際空港にという、ちょっと跳びすぎた(?)青写真でしめた。「日本人よ、大志を抱け!」だ。

刊行の直後より、「まさにタブーに挑戦し、日本の問題点をしっかりと抉ったのが本書である」とか、「精力的に取材をして生の声を拾い上げつつ、中にいては気づかず、外にいるからこそ見える問題をズバズバ明らかにする、とても刺激的な日本人論」などといった評価をいただいている。

タブーに切り込むと、そのあと何が起こるのか、それが今でも大いに不安なのだが、出版に踏み切ったのは私なのですべて自己責任。あとは広く読者の意見を待つしかない。

ちなみに、逡巡していた私を動かしてくれたのは、話を聞かせてくれたいわき市の女性からの手紙だった。

「福島県の本当の復興のために、国も、いわき市民も、そしてもちろん双葉郡の方も語ることのできない真実を明らかにしていただくことが、今いちばん必要なことのように感じています」

この一言に勇気づけられてようやく仕上げたのが、今回の本である。福島の復興と日本のエネルギー政策、そして日本の未来について皆で考える一助としていただければ、とても嬉しい。


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