メルハバ通信その15
トルコは春たけなわ。ここカレホユック遺跡の日本庭園でもカイス(スモモ)、バーデン(アーモンド)、エリッキ(梅)、レンギョウ等の木々が、花々を次々に咲かせてきた。
《カイスとレンギョウの花が満開》
《春の日本庭園》
今週の火曜日には、満開になったソメイヨシノの下で、カマン3人組恒例?の花見をした。研究所にあった日本酒をMさんが調達し、久し振りにたらふく飲んだ。研究所の犬達が我々のつまみをあてにして集まり、収集が付かなくなりそうだったが、日本酒の匂いを嗅ぐとなぜか近寄らなくなり、一安心。犬達もつまみを諦めたか、その後はゆっくりと楽しむことが出来た。犬除けには日本酒がいいようだ。しかし、イスラム教を信心している犬に対してだけかもしれないが・・・。
《カマン3人組と犬達で恒例の花見》
《ソメイヨシノを眺めるエディ(犬の名)》
芝生では、多くのタンポポが活き活きと咲き始めた。他にちらほらと咲き始めている野の花も、もうすぐ一斉に咲き出し、ここカマでは一番華やかな季節を迎える。
さて、肝心の日本庭園の作業であるが、梨の木の剪定及び移植予定樹木の根回し等と平行して、強風で壊れた藤棚の製作に取り掛かった。木材はここでは非常に貴重である。古い電柱を材木屋で四角にカットしてもらい、再利用することにした。元あった藤棚の柱周りの基礎コンクリートを壊すのに悪戦苦闘している。
カマン市役所での作業としては、裁判所の造園設計も終わり、基本図面を提出した。先週位から既に植栽工事も取り掛かっているようだ。予算もあると思うので、おそらく図面通りにはいかないだろうが、一度視察に行かなくてはと思っている。
さて、 milima(娘)の学校(アメリカ系のインターナショナルスクール)のイースター(キリスト復活祭)を兼ねた春休みに、トルコに一番近い国であるギリシャに行くことにした。トルコに来てから初めての海外旅行(トルコ以外の)である。
ギリシャへの交通手段として、費用も安く手っ取り早いフェリーを使うことにした。まあ、名前だけは格好いいエーゲ海クルーズである。トルコ沿岸のエーゲ海の島々は、全てギリシャの領土となっている。トルコからすぐそこに見えていて、泳いでも行けそうな島々がまさしくギリシャなのだ。
3月30日の夜行バスで、アンカラのバスターミナルからエーゲ海の港町、クシャダスを目指す。4月1日から10月31日の期間、ここからギリシャのサモス島に毎日フェリーが出ているようだ。インターネットで調べると、サモス島から次の目的地、ミコノス島のフェリーは4月3日まで無いので、2日にサモス島に渡ることにした。
そのため、クシャダスで2日間の国内トルコ観光を計画した。近くにはトルコきっての観光地、エフェス遺跡があるのだ。
さて、アンカラからの夜行バスを降り、ホテルに荷物を置き、セルチュク行きのドルムシュ(乗り合いバス)でいざ出発。ところが、あいにく天気が悪く、山の上にある聖母マリアの家は、雨中での見学となった。ここはキリストを生んだマリア様が晩年を過ごした所だ。キリスト教信者がヨーロッパ各国からやってくる。
そして、エフェスに着いた時には、雷と共に夕立のような激しい雨が我々を襲ってきた。まるでイスラム教のここトルコからキリスト教のギリシャを目指している我々を、アラーの神が非難するかのように・・・。どうしてお前たちはトルコもろくに見ずして、ギリシャくんだりへ行くのか・・・?と。
《エフェス、ケルスス図書館》
次々と観光客が観光を諦めて戻っていく。ゲートで、雨が小降りになるのを待つことにした。暫くして、アラーの怒りが収まったのか小降りになり、行動できるようになった。ラッキー!!
歩き出してすぐに、エフェスの雄大な遺跡群に圧倒される。聞きしに勝るエフェス・・・。恐るべしかな・・・。エフェス以外にも驚くほどたくさんの遺跡がここトルコには存在しているのである。
《ディディマの遺跡》
《ディディマにあるメドゥーサの首》
《アポロン神殿、牛のレリーフ》
4月2日の朝、トルコのクシャダス港から、ギリシャのサモス島へ実に可愛らしいフェリーで渡った。クシャダスの港で出国の手続きを終えると、免税店がある。船旅でも立派に海外旅行の気分が味わえる。
《ギリシャ、サモス島》
サモス島はピタゴラスの定理で知られている彼の出身地でもある。レンタカーを借りて、彼の出生地のピタゴリオや海岸線で有名なコッカリオなど、サモス島をほぼ一周した。久しぶりの車の運転で、しかも初めての左ハンドルと右側通行であった。安全運転に終始した。
《サモス島にあるピタゴラスの塔》
《サモス島にて》
《コッカリオでエーゲ海に浸かる》
3日の夕方、サモス島からギリシャ、エーゲ海の代名詞ともいえるミコノス島へ、今度は大きなフェリーで渡った。島に着いたのは夜11時を回っていたが、予約していたホテル(アルホンティコ・ペンション)の車が迎えに来てくれた。港から少し離れた丘の上にある、眺めのいい場所にあった。ここはインターネットで調べたのだが、ダントツで評判が高く、庭と建物が非常に凝っている。値段も手ごろで、超お勧めホテルだ。
《アルホンティコ・ペンションのプール》
ミコノス島はガイドブックの写真の通り、真っ白な壁とブルーの扉、蒼い空、コバルトブルーのエーゲ海、たくさんの小さな教会、迷路のようなミコノスタウン等々、ほんとに魅力的な島であった。街の名物のペリカンにも会えることが出来、思わず2泊してしまった。
《ミコノスの人気者、ペリカン》
《白い教会》
《セント・ニコラス教会》
《猫とおじさん》
そして、アテネへ。幼い時からこの目でパルテノン神殿のエンタシスの柱を見たいとは思っていたが、その夢が叶い感動ものだった。しかし、妻は思っていたような感動が得られず、少しがっかりした様子。その原因はどうもエフェスにあったようだ。
私もカマンに帰って写真を整理してみて、エフェス遺跡群の雄大さとその偉大さを再認識した次第である。確かにパルテノン神殿以上の遺跡がトルコではここかしこに残っているのだ。
もう一つアテネに行くのには重大な目的があり、それは妻が日本から持ってきたトラベラーズチェックを現金化することであった。トルコではトラベラーズチェックは殆ど使えず、また換金できても、ビックリするような手数料を取られてしまう。泊まっていたホテルの近くでようやく換金できた。ほっと一安心。心置きなくアテネを後にした。
帰りはアテネの港、ピレウスから夜行のフェリーに乗り、ミコノスを通過してサモス島にもう1泊した。行きに泊まった、ここのホテルの主人が、イースターの祭りをどうしても見て行けと言うので、もう1泊することにしたのである。
当日、街は昼間から爆竹の音がしている。しかし、人々は祭りの準備中なのか、あまり見かけない。夜の12時にホテルの泊り客らと蝋燭を持って教会に行くと、大勢の住民が・・・。教会から帰って、ホテルのみんなと共に、さあご馳走である。
《ミサの行われた教会》
《イースターのパレード》
キリスト教徒は今まで食事を我慢していたようで、がっついて食べる。私たちはお腹がすくだろうと、カフェでサンドイッチを食べていたのだが、そこで、他の客らになぜか白い目で見られていた訳がようやく解った。トルコのラマザン(断食)のようなことをギリシャの人々もやっていたようだ。
とにかく、ホテルの主人にリクエストしていた豚肉(トルコではイスラム教なので食べられない)をお腹いっぱい頂戴した。
翌日、またレンタカーで島の端にある港を観光して、夕方のフェリーでトルコのクシャダスに戻った。直ぐさまその足で夜行バスに乗り、アンカラに戻った。
実際に現地へ行くまでは、フェリーが出ているのかもはっきり解らず、行き当たりばったりの旅ではあったが、順調に旅行できて、思い出に残る良い旅になった。