メルハバ通信22(最終回)
11月17日、 自宅に無事辿り着いた。19日から職場である(会社に籍を置く現職参加だったので)山口造園に出社した。連日、個人邸の樹木剪定作業に精を出している。造園業界にとっては一年中で一番忙しい時である。正月まで、雨以外は休み無しといったところだ。
今日は珍しく朝から雨が降った。久し振りに作業は休み、ホット一息。この最終回のメルハバ通信を作成している。お世話になった方々への報告を兼ねて、海外でのボランティア活動を振り返ってみたいと思う。
私は1981年に青年海外協力隊でタンザニアに派遣された。タンザニアの人々は私を本当に心暖かく迎えてくれた。今でもそうだと思うが、当時のタンザニアは非常に貧しく、国民が常に飢えている状態だった。そんな中でも人々はアフリカの日差しのごとく、眩しいばかりの明るさで私に接してくれた。彼らの心の豊かさに驚くと共に感動し、少しでもこの国の人々の役に立ちたいと考えていた。しかし、父の急逝により、赴任後5ヶ月足らずで日本への帰国及び任期短縮を余儀なくされた。
このタンザニアでの経験が以後、私の人生の礎となっているといっても過言ではない。貧しいタンザニアにボランティアに出かけたのではなく、逆に豊かな心を持ったタンザニアの人々に魅了されてしまった。とにかく人は明るくなければいけない。どんな時でも明るく生きていくことが人間にとって一番大切なことであると信じるようになった。
それから20年以上経過し、いつかは外国で人々のお役に立てればと考えていた。今回、多くの人々のお蔭で海外でのボランティア活動ができた。そして、無事にトルコでの任期を全うすることができた。タンザニアでは2年間の任期を全うすることができず、それだけが心残りであった。
トルコでの2年間は実に満足する仕事を与えられ、それに対して精一杯活動することができた。造園の仕事だけでなく、今までの経験すべてがトルコでの活動に役立ったと実感している。
私の残した仕事が果たしてトルコ、カマンの人々の生活向上に役立ち、また今後どれだけ役立つかは解らない。しかし、成果はともかく、現地の人々と共に汗を流し、笑いや悲しみを共有し、一緒に仕事をした事が大切だと思っている。たった2日間ではあったが、断食も経験した。イスラムの人々の辛さと共に、食べ物のありがたさが解ったような気がする。
妻と娘も途中でトルコに来て、周りの心温かい人々に支えられ、実に快適な生活をすることができた。家族で日本では得られないような貴重な体験ができたと思っている。カメラに納めた人々の笑顔を眺めていると、心暖かい人々との数々の出会いが走馬灯の様に蘇ってくる。
赴任前、東京(広尾)での研修中、青年海外協力隊の事務局長の言葉に感銘を受けた。“任国の人々は君達の背中をじっと見ている。黙々と作業をする姿を現地の人々はきっと忘れない・・・。”
一生懸命さえやっていれば、誰かが私の姿を見ていて、そして考えてくれるはずだ。私のボランティとしての姿勢なり考えがトルコの人々に僅かでも影響を与え、この国を良くする原動力になってくれると信じている。たとえ、それが蟻のように小さな力だとしても・・・。
この2年間、私を応援して頂き、本当にありがとうございました。感謝の念に耐えません。この体験を無駄にしないよう、これからも精進するつもりです。今後とも何卒宜しくご指導の程、お願い申し上げます。
平成19年12月3日 枚方市の自宅にて、福田嘉之