USB再生装置付きのラジカセを買ったところ、普通のUSBをさすと、取っ手に引っかかって、邪魔でした。
アマゾンで探したら、1/5サイズのUSBが、16・32ギガで600円から800円で手に入りました。
サイズ比較
さしてみると、すっきりです。右の小さい方が倍の32ギガです。
下は、LPレコードのターンテブルーから、直接電子ピアノに音源を流して、ピアノで音を再生するシステムです。
可変抵抗(バリアブルコンデンサー)を秋葉で買ってきて、ピアノの中にはんだ付けしました。
兵庫から来たこんなやつ
ヤマハ5HPは、一階からウインチ(チェーンブロック)で、カラカラと2階の修理・メンテ工場へ
まるで、出産シーンです。
専用のベッドに入って、近くキャブの心臓弁手術(ダイヤフラムというゴムの燃料供給弁の交換-20分ほどかかります。)
を行う予定です。
アマゾンで探したら、1/5サイズのUSBが、16・32ギガで600円から800円で手に入りました。
サイズ比較
さしてみると、すっきりです。右の小さい方が倍の32ギガです。
下は、LPレコードのターンテブルーから、直接電子ピアノに音源を流して、ピアノで音を再生するシステムです。
可変抵抗(バリアブルコンデンサー)を秋葉で買ってきて、ピアノの中にはんだ付けしました。
兵庫から来たこんなやつ
ヤマハ5HPは、一階からウインチ(チェーンブロック)で、カラカラと2階の修理・メンテ工場へ
まるで、出産シーンです。
専用のベッドに入って、近くキャブの心臓弁手術(ダイヤフラムというゴムの燃料供給弁の交換-20分ほどかかります。)
を行う予定です。
アンプは中継していません。
https://youtu.be/H218qgrJBJ8
https://youtu.be/WfIkeL5w7VA
https://youtu.be/PLrAepj-w-I
https://youtu.be/6aGIutGiuBM
新型コロナウイルス、初体験しましたけど、会社を辞めた人たちは、年金暮らしだし、何にも影響受けなかったなぁ
でも、周りの若い人たちは、大変だったね~
あと、スポーツが止まっちゃったのは、ちょっとだけさみしかったね~
3ヶ月過ぎて、生活は元に戻ったけれど、100年前のスペイン風邪の時など、第2波、第3波も来ているので、終わるまでは3年くらいかかるかもね~
ところで、菅原洋一が86才と高齢者だけど、他の芸能人で、高齢な人を調べてみたら、けっこう元気な人いっぱい見つけました~
高齢な人から順番に挙げると、
①88才...有馬稲子、穂積隆信、露口茂、香川京子
⓶87才...扇千景、小林亜星、高木ブー、岡田茉莉子、仲代達矢
③86才...菅原洋一、黒柳徹子、菅原文太、草笛光子、宍戸錠、財津一郎、白木みのる、中村メイコ
④85才...美輪明宏、芳村真理、司葉子、
⑤84才...毒蝮三太夫、吉行和子、
⑥83才...加山雄三、北島三郎、里見浩太朗
⑦82才...伊東四朗
以上ですね~。
皆さん、頑張ってますね~
またねー
太っていて健康に悪そうな二人が90歳を超えて長生きしたら、健康の学説もいろいろ否定される部分が出そうです。
宍戸 錠は今年、なくなりましたね。
宍戸 錠(ししど じょう、1933年12月6日 - 2020年1月18日)は、日本の俳優・タレント・ 司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。郷鍈治は実弟、 宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、ちあきなおみは義妹(郷鍈治の妻)
https://www.pinterest.jp/pin/554083560406749899/
日本橋生まれで、農家の娘。本名「稲」妹は「実子-じつこ」
この吉村実子の夫が、私がシーボニアに10年以上通っていたポインシアナグループのヨット代表の男性の妻で、この縁で30年ほど前、ハワイのパンナムヨットレースを見学に6人で行ったとき、止まらせてもらったアラモアナの高層マンションのオーナーが吉村真理でありました。
司葉子自身が、”日本一の山林地主”と呼ばれた鳥取の名家出身ですから、家庭でも品格ある子育てを行っていたに違いありません。そんな司葉子の夫であり、息子の父親である相澤英之は、1976~2003年まで、衆議院選挙に9期連続で当選した元大物政治家で、現職は弁護士です。
実は相澤英之には、1969年に司葉子と結婚する前にも婚姻歴があり、先妻との間に2人の息子をもうけていました。長男は、「スッキリ!!」のコメンテーターとして活躍中の一橋大学教授・相澤英之で、次男・中島周は、キユーピー常務取締役。司葉子が産んだ1人息子は、相澤英之の三男ということになりますが、誰もが父親の跡を継いで政界に進出してもおかしくありません。
司葉子の夫-相澤英之元大臣のパワーボートが、シーボニアヨットハーバーの最初の角地にあり、「あー、この船がそうだよ」と当時噂されていました。
このハーバーの中にマエタケのぷくぷくという28フィートぐらいのヨットも止まっていました。本人も三崎の小料理屋「天花」でくだくだと長話をしていたのを耳にしました。
三橋美智也といい、ちょこちょこと接触がありましたね。
その人生は、①京城(現ソウル)で少尉として終戦を迎え、ロシアに3年間抑留された②男子2人生んだ妻が病死③50歳で経済企画庁官房長のとき、司洋子と結婚
など波乱に富んだものでした。
前半
大蔵官僚として
1942年9月25日大蔵省に入省したが、10月1日には召集され、陸軍東部第十七部隊(近衛軽輺重兵連隊)に初年兵として入営した[4]。
1943年11月陸軍経理学校卒業。陸軍主計少尉。京城(現ソウル)で終戦を迎える[5]。
ソ連タタール自治共和国エラブガで3年の抑留をさせられる。1948年8月に復員[5]。
大蔵省に復職して下京税務署長を務めるが、程なく主計局主査(逓信担当)として本省に戻った。
以後1973年に事務次官となるまで、近畿財務局長、理財局長、経企庁官房長を計3年間務めた他は全て主計局勤務であり、主計局歴が最長とされる[6]。
2人の息子を残して妻に先立たれたが、経済企画庁官房長だった1969年、女優の司葉子と結婚した[1]。1974年6月に退官。
東大法学部卒、大蔵省主計局、次官、政界進出、そして、美人女優と結婚。そして、長寿。そしてと続きますね。まぁ~オレには宍戸錠の方が身近ですが