ぬこログ!season2

猫のこと、日本舞踊のこと、その他何でも

入試後のご褒美

2021年01月29日 | ぬこ
今日は暴風雪警報が出ている
それほど強い風ではなく
雪は舞ってはいるが積もらない

今日は石川県は私立高校の入試日

娘には電車で行ってもらった
昨日はお友達のお母さんについてもらって高校の最寄駅からの10分程度の道のりを下見
多くの受験生が同じように歩くはずなので大丈夫でしょう

それよりテストの方である
昨晩は早く寝るよう言っていたのに
解けなかった過去問の数学を聞きに来た
前日になって…
普段なら強く突き放すように言ってしまうが
翌日の事があるのでぐっと感情を押さえて
ささっと問題を終わらせ寝るよう促した
今日はそれなりに書いてくるんでしょう🐤

とりあえず今日の入試お疲れ様のご褒美にモロゾフのチョコレート🥰用意した❗️
猫型のチョコが入っていたので
猫が好きな娘にピンクの缶

ついでに息子に緑の缶
パパに黄色い缶
量に違いはあるけど
バレンタインということで❗️

何でもない事が楽しいようでなくてはいけない 森鴎外

2021年01月19日 | 新聞記事
マイニチマイニチマイニチマイニチ…
洗濯や掃除や炊事は大変❗️
今は雪も積もってるから除雪もしなきゃ😵
それらの家事は時間を取られるし体力も消耗する
でも自分や家族のためにやってあげたいことであり
忙しいときは嫌になるけど
それらが済んだらスッキリする
楽しむまではなかなかいけないけど~
仕事や他の用で家事が出来なかったら
自分の気分は悪いし家族も残念がるので
しっかり家事を済ませられたら充実感はあるのかな
家族の心身の健康のために
今日も家事と除雪もガンバロウ🎵

降りるのをやめよう

2021年01月17日 | 新聞記事
1月15日の掲載

どんな仕事でもしんどくなる時はあると思う
勤め先で同僚と顔を合わせて仕事をしているならグチを言ったり相談したりして憂さをはらし、前向きな言葉を掛け合いながらこなしていく
今はアシスタントは一人いてもらってるが一人で経営しているので何でも自分で決めて回さなきゃならない
悩んだとき気持ちが折れてるときは
同期の先生にLINEしたり電話したりランチに出たりして話をする
先輩の先生に相談することもある
みんな見てくれてるし情報を共有してくれる
簡単に降りられない仕事であるし
降りずに子どもたちの未来のために
昇華!していこう🎵


人は異なる手段で、同じような目的に到達する

2021年01月16日 | 新聞記事
1月14日の掲載

塾の広告も時代と共に変化してきた
石川では教室をはじめたばかりの
ほんの5年前は紙のチラシがほとんどだった
もちろん地域単位でテレビのコマーシャルは使ってくれてたが
個人的に費用をかけるのは紙のチラシだった
新聞折り込みやポスティング、そして学校や幼稚園・保育園で景品付きのチラシを[門前配布]するのだ

でも今は新聞をとってる家庭が少ない
だから今年から折り込みはやめた
でも[門前配布]はいくらか反応があるので
もうしばらくは続けようと思う
こだわるつもりはないが
手間はかかっても費用が少なくてすむ

チョークデジタルとかTVのコマーシャルの効果はいかほどなのか⁉️
見極めながら手段を選んでいこう



制約を乗り越えていくのが面白い

2021年01月15日 | 新聞記事
1月12日(火)の朝刊

コロナのために3月から一斉に学校が休校となっても
塾としては子どもたちの勉強はそんなに長期で休ませるわけにはいかなかった
すぐに宿題は出す
しかし定期的に提出させたりチェックしていかないとできないのが子どもだ
会社からオンラインの許可が出たので
まずLINEで個別に指導をした
どんな状況でも常に制約はある
日頃から工夫を重ねていきたい

いいじゃあないか。いつかかならずわかるときがくる 志村喬

2021年01月08日 | 新聞記事
あるあるだなあ~

ある職場に総務で入ったばかりのころ
教えてくれてた人や上司について回って一生懸命仕事を覚えていたところ
↑の人を気に入らないらしい別のグループの方から
冷たい目線を感じた
次第にそのグループの皆さんと仲良くなっていけたし
みなさんが働きやすいようにと自分なりに知恵を絞ってがんばっていたら
だんだん距離が近くなっていき、話をする中で
最初はいろんな誤解をしていたらしいことが判明した
出会ってすぐは人間関係できてないからね~
仕事だけでないが、誠実に愛を持って仕事をしていこう!

一生の仕事にするんだから、1カ月や2カ月の遅れなんか大したことない 森且行

2021年01月06日 | 新聞記事
先日、夢をかなえた人の言葉だし重みある~

私もちょうど就職活動しているときは氷河期だった
興味のあるモノづくりをしている企業におつとめの大学OB・OG数人に連絡をし
いくつかの企業の様子をお聞きしたが
どこも大きなものを作っているところで、昔ながらの慣例などあったのか
女性である私が、しかも専門でもないのに入社してもうまく使ってもらえないかもしれない
と感じた
それらの企業・業種にこだわったわけではないが
どこでもいいから就職したいとは思わなかった

大学の後半は、所属コースを超えた自主的なゼミに参加しており
そこでお会いした教育工学の藤岡教授(早くにお亡くなりになられて残念です)は
肉体と精神とは切り離せないもの、脳死には反対だという意見をお持ちだった
看護師の教育に関わっておられたのである
私は卒論のテーマ決定にも進路決定にも影響を受けた

就職はせず、看護の勉強をするために大学受験をすることにした
まだ就職もしていないので社会人枠では申し込めないため
2度目のセンター試験受験の準備に取り掛かった
大学4年の夏だった
卒論も書きながら臨んだセンター試験は4年前と2点しか変わらなかった
2次試験の面接もとおり、再度大学1年生になった
そして横浜から愛媛へ

このときからなんとなく
私はこの先、点々と(住まいや所属)していくんだろうなあと思っていた